翻刻
今井(いまゐ)の津頭(わたしは)
柴屋軒宗長(さいをくけんそうちやう)か永正(えいしやう)六
年の紀行(きかう)東土産(あつまのつと)に
隅田川(すみたかが)の河舟(かはふね)にて
葛西(かさい)の府(ふ)のうち
を半日(はんにち)はかり
葭芦(よしあし)をしのき今(いま)
井(ゐ)といふ津(わたり)より
下(をり)て浄土門(しやうともん)の寺(てら)
浄興寺(しやうかうし)に立寄(たちより)て
とあれははやくより
此 津(わたり)の
ありし
事
しられ
たり
現代語訳
今井の渡し場
柴屋軒宗長が永正六年(1509年)の紀行文『東土産』に記している内容によると、「隅田川の川船で葛西の領内を半日ほどかけて巡り、葦を分けながら進んで今井という渡し場で下船し、浄土宗の寺である浄興寺に立ち寄った」とあることから、古くからこの渡し場が存在していたことが知られている。
英語訳
Imai Ferry Crossing
According to the travel account "Azuma no Tsuto" written by Shibaoken Sōchō in the 6th year of Eishō (1509), he wrote: "Taking a river boat on the Sumida River, we spent about half a day touring the territory of Kasai, pushing through reeds and rushes, then disembarked at a ferry crossing called Imai and stopped at Jōkōji, a temple of the Jōdo sect." This indicates that this ferry crossing had existed since ancient times.