翻刻
を採(と)り居(ゐ)たりしを見(み)てふと
心まよひ女に戯(たはむ)れいふは我は旅(たび)の
者(もの)なるが行(ゆく)さき未(ま)だ遠(とを)く侍(はんべ)れば
桑(くわ)の木陰(こかげ)に休(やす)らひ度(たく)一 樹(じゆ)の陰(かげ)
の宿(やどり)も仮初(かりそめ)ならぬ理(ことは)りをいかゞ
思(おも)ひ給ふやといひけれども女 見(み)
向(む)きもやらず桑(くわ)を取(とつ)て居(ゐ)たり
ける秋胡子(しうこし)いとゞせきあへぬ風情(ふぜい)
にて御身(おんみ)かく勤(つとめ)給ふも世(よ)のいと
なみ身(み)を助(たすけ)んためならずや
身(み)を立(たゝ)んと思ひ給はゞ我(われ)に随(したが)ひ
給へかし我(われ)は官(くわん)につかへて俸錄(ほうろく)身に余(あま)り金銀多く貯(たくは)へ今(いま)古郷(こきやう)へ帰り侍る也
我にしたがひ妻(つま)とも成(なり)給はゝ飼蚕(こがひ)桑(くわ)摘(つみ)のいとなみもなく安(やす)かりなんといへば女(をんな)
答(こた)へていふ様我は人の妻(つま)となりし身なれば桑とりいとなみは定(さたま)れる業(わざ)也
故(ゆへ)もなく金銀を得(え)ん事 道(みち)ならず其上 我(わが)夫(おつと)も官(くわん)につかえて他国(たこく)に行(ゆき)たまふ
朝(あさ)な夕(ゆふ)なの願(ねが)ひにも夫(おつと)無事(ぶじ)にて勤(つと)め給ひかし我今程は貧(まづ)しく侍れば
桑をつみ蚕を養ひ姑(しうとめ)につかへまいらせ猥(みだり)なる心なく夫(おつと)の帰(かへり)を待(また)んとこそ存(ぞんじ)つれ
と潔(いさぎ)よくいひはなちければ秋胡子(しうこし)もせんかたなく立別(たちわか)れ我家(わがや)へ帰(かへ)りぬ
扨(さて)貯(たくは)へ帰りし金銀を母(はゝ)の前(まへ)に出し妻(つま)にも悦(よろこは)せんと尋(たづ)ぬるにやがて
外(そと)より帰(かへ)り来(き)ぬ能々(よく〳〵)見れば道(みち)の辺(ほと)りにて桑を摘居(つみゐ)たる女なり秋胡子(しうこし)
はつと赤面(せきめん)し暫(しばら)く物をも云(いは)ざりしが妻(つま)秋胡子(しうこし)に向(むか)つて御身(おんみ)我を迎(むか)へ
給ひて五日めに旅(たび)だち行て五歳(いつとせ)が間(あひだ)親(おや)の養(やしな)ひを顧(かへりみ)ず官(くはん)につかへて
【図中】
秋胡子(しうこし)が妻(つま)
桑(くわ)を採(と)る図(つ)