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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之11 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之11 - ページ 16

ページ: 16

翻刻

【右丁】  柏木邑(かしはきむら)   右衛門(ゑもん)     桜(さくら)            柏木ゑもんさくら 【左丁】  此称(このしよう)あり《振り仮名:蜘蛛の井|くも ゐ》といふは当寺(たうし)の境内(けいたい)にあり来由(らいゆ)は誌(しる)すに堪(た)へす  こゝに略(りやく)す昔(むかし)は山林(さんりん)に桜(さくら)多(おほ)かりし由(よし)諸書(しよしよ)に見えたれとも多(おほ)くは枯(かれ)  失(う)せて今(いま)纔(わつか)に古木(こほく)二三株(   ちゆう)存(そん)せるのみ 紅葉山(かうえうさん)西迎寺(さいかうし) 同 巽(たつみ)の方二町はかりを隔(へた)てゝ四谷北寺町(よつやきたてらまち)にあり浄土(しやうと)  宗(しう)にして増上寺(そうしやうし)に属(そく)す往古(そのかみ)太田持資(おほたもちすけ)の臣(しん)伏見勘七(ふしみかんしち)といへる人の  草創(さう〳〵)なりといへり旧(いにしへ)は御城中(こしやうちゆう)紅葉山(もみち  )の地(ち)にありしを天正(てんしやう)の後(のち)此(この)  地(ち)に移(うつ)すといふ本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)開山(かいさん)は儀蓮社仁誉上人(きれんしやにんよ    ) 存公(そんこう)  和尚(おしやう)と号(かう)す 医光山(いくわうさん)円照寺(ゑんせうし) 瑠璃光院(るりくわうゐん)と号(かう)す柏木村(かしはきむら)にあり真言宗(しんこんしう)にして  田端(たはた)の与楽寺(よらくし)に属(そく)す本尊(ほんそん)薬師如来(やくしによらい)の像(さう)は行基大士(きやうきたいし)の作(さく)脇士(けふし)は  日光(につくわう)月光(くわつくわう)の二菩薩(にほさつ)なり又 左右(さいう)の壇上(たんしやう)に十二神将(   しんしやう)の像(さう)を安(あん)す相伝(あいつた)ふ  醍醐帝(たいこてい)の御宇(きよう)理源大師(りけんたいし)の法弟(ほふてい)筑波(つくは)の貞崇僧都(ちやうそうそうつ)此像(このさう)を此地(このち)に  安置(あんち)し奉(たてまつ)るといふ承平(しやうへい)二年壬辰 平将門(たひらのまさかと)威(ゐ)を東関(とうくわん)に振(ふる)ふ天慶(てんけう)

現代語訳

【右丁】  柏木村   右衛門     桜            柏木右衛門桜 【左丁】  この名称がある。「蜘蛛の井」というのは当寺の境内にあり、来由については記すに堪えないので、ここでは省略する。昔は山林に桜が多かったことが諸書に見えているが、多くは枯れ失せて、今はわずかに古木が二、三株存在するのみである。 紅葉山西迎寺 同じく南東の方向に二町ほど隔てて四谷北寺町にある。浄土宗で増上寺に属している。昔、太田持資の臣で伏見勘七という人の草創であるといわれている。昔は御城中の紅葉山の地にあったが、天正年間以後にこの地に移したという。本尊は阿弥陀如来、開山は儀蓮社仁誉上人存公和尚と号する。 医光山円照寺 瑠璃光院と号し、柏木村にある。真言宗で田端の与楽寺に属している。本尊である薬師如来の像は行基大師の作で、脇士は日光・月光の二菩薩である。また左右の壇上に十二神将の像を安置している。相伝によると、醍醐帝の御代に理源大師の法弟である筑波の貞崇僧都がこの像をこの地に安置したという。承平二年壬辰、平将門が威を東関に振るい、天慶年間には...

英語訳

【Right Page】  Kashiwagi Village   Emon     Cherry            Kashiwagi Emon Cherry 【Left Page】  This name exists. What is called "Kumo-no-i" (Spider's Well) is located within the temple grounds, but its origins are too inappropriate to record, so they are omitted here. In ancient times, there were many cherry trees in the mountain forests as recorded in various books, but most have withered and died, leaving only two or three old trees remaining today. Koyozan Saikaiji Temple: Located in the same area, about two cho to the southeast in Yotsuya Kita-teramachi. It belongs to the Jodo sect under Zojoji Temple. It is said to have been founded by a person called Fushimi Kanshichi, a retainer of Ota Mochisuke in ancient times. Originally, it was located on the grounds of Momijiyama within the castle, but was moved to this location after the Tensho era (1573-1593). The principal deity is Amida Buddha, and the founding priest is called Girenshaninyoshonin Sonko Osho. Ikosan Enshoji Temple: Also called Rurikoin, located in Kashiwagi Village. It belongs to the Shingon sect under Yorakuji Temple in Tabata. The statue of the principal deity, Yakushi Nyorai (Medicine Buddha), was created by Gyoki Daishi, with attendant bodhisattvas Nikko (Sunlight) and Gakko (Moonlight). Additionally, statues of the Twelve Divine Generals are enshrined on the left and right altars. According to tradition, during the reign of Emperor Daigo, Teiso Sozu of Tsukuba, a dharma disciple of Rigen Daishi, enshrined this statue in this location. In the second year of Johei (932), Taira no Masakado wielded power in the eastern regions, and during the Tengyo era (938-947)...