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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之11 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之11 - ページ 23

ページ: 23

翻刻

【右丁】      中野(なかのゝ)     塔(たふ) 【左丁】  いへるも其類(そのたくひ)のものならん歟(か)又 中野(なかの)の通(とほ)りの右側(みきかは)叢林(さうりん)の中(うち)に  三層(さんそう)の塔(たふ)あり七塔(しちたふ)の一ならんか伝(つた)へ云 中野長者(なかのちやうしや)鈴木九郎(すゝきくらう)正蓮(しやうれん)か  建(たつ)る所(ところ)にして昔(むかし)は成願寺(しやうくわんし)の境(さかひ)にありしを後世(こうせい)今(いま)の地(ち)に移(うつ)すといへり  今(いま)大日如来(たいにちによらい)を本尊(ほんそん)とす《割書:昔(むかし)の本尊(ほんそん)は釈迦如来(しやかによらい)なり|後世(こうせい)成願寺(しやうくわんし)の本尊(ほんそん)とす》中に長者(ちやうしや)鈴木氏(すゝきうち)夫(ふう)  婦(ふ)の肖像(せうさう)と称(しよう)するものを安(あん)せり 明王山(みやうわうさん)宝仙寺(はうせんし) 無動院(むとうゐん)と号(かう)す寺領(しりやう)あり古義(こき)の真言宗(しんこんしう)にして同  西(にし)の方(かた)右側(みきかは)にあり良弁僧都(らうへんそうつ)開基(かいき)なりと云伝(いひつた)ふ本尊(ほんそん)は弘法大師(こうほふたいし)  等身(とうしん)の像(さう)にして願行(くわんきやう)の作(さく)なり中興開山(ちゆうこうかいさん)を聖永和尚(しやうえいわしやう)と号(かう)す往古(わうこ)は  大刹(たいせつ)にして此地(このち)より二十町はかり北の方 《振り仮名:阿佐か谷|あさ や》の地(ち)にありしを   足利(あしかゝ)の代(よ)に至(いた)り今(いま)の地(ち)に迂(うつ)すとなりされと大永(たいえい)の頃(ころ)兵燹(ひやうせん)に罹(かゝ)りて  仏殿(ふつてん)僧坊(そうはう)悉(こと〳〵)く焦土(せうと)となる因(よつ)て其頃(そのころ)の旧記(きうき)も廃亡(はいはう)したりとて  開創(かいさう)の時世(しせい)等(とう)詳(つまひらか)ならす境内(けいたい)普門院(ふもんゐん)に不動尊(ふとうそん)の霊像(れいさう)を安置(あんち)す  良弁僧都(らうへんそうつ)の作(さく)とも或(あるひ)は願行(くわんきやう)の作(さく)なりともいふ

現代語訳

【右丁】 中野の塔 【左丁】 というのも、それらと同類のものであろうか。また中野の通りの右側、叢林の中に三層の塔がある。七塔の一つであろうか。伝承によると、中野長者鈴木九郎正蓮が建立したところで、昔は成願寺の境内にあったが、後世に今の地に移したという。現在は大日如来を本尊としている。(昔の本尊は釈迦如来であり、後世に成願寺の本尊とした。)中に長者鈴木氏夫婦の肖像と称するものを安置している。 明王山宝仙寺 無動院と号する。寺領がある。古義真言宗で、同じく西の方右側にある。良弁僧都の開基であると言い伝えられている。本尊は弘法大師等身の像で、願行の作である。中興開山を聖永和尚と号する。往古は大寺院で、この地より二十町ほど北の方、阿佐ヶ谷の地にあったが、足利の代に至って今の地に移したという。しかし大永の頃、戦火にかかって仏殿・僧坊がことごとく焼土となった。そのため、その頃の旧記も失われたといって、開創の時世等は詳しくない。境内の普門院に不動尊の霊像を安置する。良弁僧都の作とも、あるいは願行の作ともいう。

英語訳

【Right Page】 The Pagoda of Nakano 【Left Page】 These may also be of the same type. There is also a three-story pagoda in the grove on the right side of the Nakano thoroughfare. Could this be one of the seven pagodas? According to tradition, this was built by Nakano Chōja Suzuki Kurō Shōren, and while it was originally within the grounds of Jōgan-ji temple, it was moved to its present location in later times. Currently it enshrines Dainichi Nyorai as its main deity. (The original main deity was Shakyamuni Buddha, which later became the main deity of Jōgan-ji.) Inside, what are called portraits of the wealthy Suzuki family couple are enshrined. Myōōzan Hōsen-ji: Also called Mudō-in. It has temple lands and belongs to the Kogi Shingon sect, located on the right side to the west. It is said to have been founded by Priest Rōben. The main image is a life-sized statue of Kōbō Daishi, created by Gangyō. The restoration founder is called Priest Shōei. In ancient times it was a great temple located about twenty chō north of this place, in the area of Asagaya, but during the Ashikaga period it was moved to its present location. However, around the Taiei era, it was caught in the flames of war and the Buddha hall and monks' quarters were all reduced to scorched earth. Consequently, the old records from that time were also lost, so the details of its founding period are unclear. Within the temple grounds at Fumon-in, a sacred image of Fudō-son is enshrined. It is said to be either the work of Priest Rōben or the work of Gangyō.