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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 6

源氏百人一首 - 翻刻

源氏百人一首 - ページ 11

ページ: 11

翻刻

【右丁】 細(こまか)なる所(ところ)などに至(いたり)ては殊(こと)に本末(もとすゑ)通(とほ)らずして別人(ことひと)の如(ごと)く 見ゆるさへ多(おほ)きを此(この)源氏(げんじ)におきては物語中(ものがたりちう)数百人(すひやくにん)の き気質(きしつ)を一人〳〵をいと細(こま)やかに書分(かきわけ)て始(はじめ)より終(をはり)迄(まで)長(なが)き 間(あひだ)に聊(いさゝか)も乱(みだれ)ず誰(たれ)は誰(たれ)の気質(きしつ)彼(かれ)は彼(かれ)の本性(ほんぜう)と尽(こと〴〵)く一(いつ) 貫(くわん)せる事 実(じつ)に奇(あや)しき迄 妙(たへ)なる物也 世(よ)にもてはやせ る水滸伝(すいこでん)だに猶(なほ)かくの如(ごと)くなれば増(まし)て其(その)余(よ)は論(ろん)ずるに 足(たら)ずされば和漢(わかん)の小説(せうせつ)物語(ものがたり)類(るい)の中には此(この)源氏(げんじ)ばかりすぐ れたるはなく群(ぐん)を離(はなれ)て独(ひとり)はるかに高(たか)く尊(たふと)く妙(たへ)にめて たき物(もの)なる事(こと)を知(しる)べし然(しか)るを昔(むかし)よりの注訳(ちうさく)【ママ】どもに 益(やく)なき儒書(じゆしよ)よ仏書よとてこと〴〵しく引書(いんしょ)をなしさし も無(なき)事(こと)をほめのゝしりながらかゝる所(ところ)に眼(まなこ)をつけて味(あぢは)ひ 【左丁】 見る人なきはいかにぞや ○此(この)物語(ものがたり)の作者(さくしや)紫式部(むらさきしきぶ)は越前守(ゑちぜんのかみ)藤原為時(ふぢはらのためとき)の娘(むすめ)にて右衛門佐(ゑもんのすけ) 宣孝(よしたか)の室(しつ)となり大弐三位(だいにのさんゐ)を産(うみ)し人(ひと)也(なり)御堂関白(みどうのくわんはく)道長公(みちながこう)の 北方(きたのかた)倫子(りんし)に仕(つか)へて其後(そののち)一条院(いちでうのゐん)の后(きさき)上東門院(じやうとうもんゐん)は則(すなはち)道長公(みちながこう)の御(おん) 娘(むすめ)なるをもて又(また)上東門院(じやうとうもんゐん)の女房(にようばう)となれり此(この)物語(ものがたり)は其(その)程(ほど)に 作(つく)れる物也さて藤原氏(ふぢはらうぢ)の娘(むすめ)なれば藤式部(とうしきぶ)といふべきを紫(むらさき) 式部(しきぶ)としも云(いへ)る名義(なのこゝろ)は清輔(きよすけ)朝臣(あそん)の袋草子(ふくろざうし)に紫式部(むらさきしきぶ)といふ 名(な)二説(にせつ)あり一(ひとつ)には此(この)物語(ものがたり)の中(なか)に若紫巻(わかむらさきのまき)を作(つく)る甚(はなはだ)深(ふか)きの故(ゆゑ)此(この) 名(な)を得(え)たり一(ひとつ)には一条院(いちでうのゐん)御乳母(おんめのと)の子(こ)也(なり)上東門院(じやうとうもんゐん)に奉(たてまつら)しむると て我(わが)ゆかりの者(もの)也(なり)あはれとおぼしめせと申(まう)さしめ給(たま)ふの故(ゆゑ)此(この) 名(な)あり武蔵野(むさしの)の義(ぎ)也(なり)云々(しか)とあるに付(つき)て昔(むかし)より説々(せつ〴〵)あれども

現代語訳

【右丁】 細かな部分などに至っては特に首尾一貫せず、別人のように見えることさえ多いのに対し、この源氏物語においては、物語中の数百人の気質を一人一人とても細やかに書き分けて、始めから終わりまでの長い間に少しも混乱することなく、誰は誰の気質、彼は彼の本性と、ことごとく一貫している事は、実に不思議なほど見事なものである。世にもてはやされる水滸伝でさえなおこのような状態であるから、まして他の作品は論じるに値しない。したがって和漢の小説・物語類の中では、この源氏物語ほど優れたものはなく、群を抜いて独り遥かに高く尊く、見事で素晴らしいものであることを知るべきである。ところが昔からの注釈書類では、役に立たない儒書だ仏書だと大げさに引用をなし、さして重要でもないことを褒めそやしながら、このような優れた点に目をつけて味わって 【左丁】 見る人がいないのはどうしたことか。 ○この物語の作者である紫式部は、越前守藤原為時の娘で、右衛門佐宣孝の妻となり、大弐三位を産んだ人である。御堂関白道長公の北方倫子に仕え、その後一条院の后である上東門院(すなわち道長公のお娘)のもとで、また上東門院の女房となった。この物語はその頃に作られたものである。さて藤原氏の娘であるから藤式部というべきところを紫式部と呼ぶ名前の意味については、清輔朝臣の『袋草子』に「紫式部という名前には二説ある。一つにはこの物語の中で若紫の巻を作ったことが非常に優れているゆえにこの名を得た。一つには一条院の御乳母の子であり、上東門院にお仕えさせようとして、私のゆかりの者です、愛おしくお思いください、と申し上げさせたゆえにこの名がある。武蔵野の意味である」云々とあることについて、昔から様々な説があるけれども

英語訳

【Right Page】 In detailed aspects, they particularly lack consistency from beginning to end, and many even appear like different people altogether. In contrast, in this Tale of Genji, the temperaments of several hundred characters in the story are written with extremely fine distinctions for each individual person, and throughout the long span from beginning to end, there is not the slightest confusion—whose temperament belongs to whom, his nature belongs to him—everything is thoroughly consistent. This is truly wondrous in its excellence. Even the celebrated Water Margin is still like this, so much more are other works not worth discussing. Therefore, among the novels and tales of Japan and China, nothing surpasses this Tale of Genji, and one should know that it stands apart from the crowd, uniquely towering high, noble, and magnificently excellent. Yet in the commentaries from ancient times, they make grandiose citations of useless Confucian texts and Buddhist writings, praising and making much ado about matters of little importance, while there are no people who focus their attention on such excellent points to savor and 【Left Page】 appreciate them—how can this be? ○The author of this tale, Murasaki Shikibu, was the daughter of Echizen-no-kami Fujiwara no Tametoki, became the wife of Emon-no-suke Yoshitaka, and gave birth to Daini-no-sanmi. She served Rinshi, the principal wife of Midō Kanpaku Michinaga, and later became a lady-in-waiting to Jōtōmon'in, the consort of Emperor Ichijō (who was Lord Michinaga's daughter). This tale was written during that time. Now, as the daughter of the Fujiwara clan, she should have been called Tō Shikibu, but regarding the meaning of why she is called Murasaki Shikibu instead, in the Fukurozōshi by Kiyosuke Ason it states: "There are two theories about the name Murasaki Shikibu. One is that she received this name because her creation of the Wakamurasaki chapter in this tale was extremely profound. The other is that she was the child of Emperor Ichijō's wet nurse, and when presenting her to serve Jōtōmon'in, they said 'she is one of my relations, please regard her with affection'—hence this name arose. It has the meaning of Musashino." Regarding this passage, there have been various theories since ancient times, but