翻刻
【右丁】
則(すなはち)紫式部(むらさきしきぶ)の書(かけ)る日記(にき)の中(なか)にあなかしこ此渡(このわた)りに若紫(わかむらさき)やさぶ
らふと伺(うかゞ)ひ給ふ源氏(げんじ)に似(に)るべき人(ひと)も見え給はぬに上(うへ)はいかゞ
物(もの)し給はんと聞(きゝ)居(ゐ)たり云々(しか〳〵)とあるは左衛門督(さゑもんのかみ)公任卿(きんたふけう)戯(たはふれ)に紫(むらさき)
式部(しきぶ)をさして若紫(わかむらさき)と云(いひ)し也(なり)如此(かくのごとく)云(いひ)し心(こゝろ)は源氏(げんじ)一部(いちぶ)の中(なか)
に紫上(むらさきのうへ)は女(をんな)の最上(さいじやう)なればそれになずらへて戯(たはふ)れたるなりもし
紫式部(むらさきしきぶ)男子(をとこ)ならば光源氏(ひかるげんじ)やさぶらふといふべき語勢(ごせい)也(なり)然(しか)れば
其頃(そのころ)紫(むらさき)の物語(ものがたり)とはいはずとも一名(いちめう)をさもいふばかりなりし事
を知(しる)べし其(その)作者(さくしや)なれば藤(ふぢ)は本(もと)より紫藤(しとう)ともいひてかた〴〵
よせあるをもて若紫(わかむらさき)の作者(さくしゃ)よといふ心(こゝろ)に藤式部(とうしきぶ)を紫式部(むらさきしきぶ)
とよびかへられたる物(もの)と見ん方(かた)おだやかなるに似(に)たり始(はじめ)より
自(みづから)のよび名(な)に紫(むらさき)の文字(もじ)を付(つき)ながら殊更(ことさら)【別本による】に物語中(ものがたりちう)のすぐ
【左丁】
れたる女(をんな)を紫(むらさき)としも名付(なづけ)ん事(こと)おのづから有(ある)まじき事と聞(きこ)ゆ
よく〳〵考(かんが)へ渡(わた)して悟(さと)るべし
○此(この)物語(ものがたり)の注訳(ちうさく)【ママ】は昔(むかし)よりいと〳〵多(おほ)くあれども北村季吟(きたむらきぎん)の
湖月抄(こげつせう)に其要(そのえう)をつみて尽(こと〴〵)く出(いだ)したればそれより以往(あなた)の抄(せう)ど
もは湖月(こげつ)にて大方(おほかた)足(たれ)り且(かつ)其後(そのゝち)とても源注拾遺(げんちうしふい)源氏新訳(げんじしんしやく)【ママ】玉(たま)
小櫛(をぐし)など猶(なほ)彼是(かれこれ)手(て)を入(いれ)たる物(もの)も有(あり)て追々(おひ〳〵)に明(あき)らかに成(なり)来(き)に
けるを猶(なほ)湖月抄(こげつせう)は本文(ほんもん)ご免に全備(ぜんび)して見(み)るに便(たより)よきをも
てとかく是(これ)に而已(のみ)よる人(ひと)多(おほ)し且(かつ)明(あき)らかに成(なり)ぬといへども猶(なほ)
いかにぞや覚(おぼ)ゆるふし〴〵も少(すくな)からず殊(こと)に歌(うた)の解(かい)などは語(ご)を
解(とけ)る而已(のみ)にて心(こゝろ)を云(いへ)るはまれなり今(いま)は総(すべ)【惣】てにはかゝはらず唯(たゞ)百(ひやく)
首(しゆ)余(あま)りの歌(うた)のうへ而已(のみ)なれども其(その)解方(ときかた)大方(おほかた)古注(こちう)に異(こと)なる
現代語訳
【右丁】
すなわち紫式部の書いた日記の中に「恐れ多いことですが、この辺りに若紫がいらっしゃいますかと尋ねになりました。源氏に似るような人もお見えにならないのに、あなた様はどのようにお過ごしでいらっしゃるのでしょうか」と聞いていました云々とあるのは、左衛門督公任卿が戯れに紫式部を指して若紫と言ったのである。このように言った心は、源氏物語一部の中で紫の上は女性の最上の存在であるから、それになぞらえて戯れたのである。もし紫式部が男子であったなら「光源氏がいらっしゃいますか」と言うべき語勢である。そうであれば、その頃「紫の物語」とは言わなくとも、一つの名前をそのように言うほどであったことを知るべきである。その作者であるから、藤は元より紫藤とも言って、なかなか縁があることから、若紫の作者よという心で藤式部を紫式部と呼び替えられたものと見る方が穏やかであるように思われる。始めから自分の呼び名に紫の文字を付けながら、特に物語中の優れた
【左丁】
女性を紫と名付けることは、自然とあるはずのないことと思われる。よくよく考え渡って悟るべきである。
○この物語の注釈は昔から非常に多くあるけれども、北村季吟の『湖月抄』にその要点を集めてすべて出しているので、それより以前の注釈書類は『湖月抄』で大方足りる。かつその後であっても『源注拾遺』『源氏新釈』『玉小櫛』などなお、あれこれ手を入れたものもあって、次第に明らかになってきたのであるが、なお『湖月抄』は本文とともに完備して見るのに便利であることから、とかくこれにのみ頼る人が多い。かつ明らかになったといってもなお、どうもよく分からないと思われる箇所も少なくない。特に歌の解釈などは語を解くのみで、心を述べたものは稀である。今は全体には関わらず、ただ百首余りの歌の上のみであるが、その解釈の仕方は大方古注と異なる
英語訳
【Right Page】
Indeed, in the diary written by Murasaki Shikibu, it states: "How presumptuous, but he inquired whether Wakamurasaki might be around here. When no one resembling Genji appears, how might you be faring?" and so forth. This refers to Saemon-no-kami Kintō playfully calling Murasaki Shikibu "Wakamurasaki." The intent behind saying this was that since Murasaki-no-ue is the supreme woman in the entire Tale of Genji, he playfully likened her to that character. If Murasaki Shikibu had been a man, it would have been like asking "Is Hikaru Genji here?" Such was the tone. Therefore, one should understand that at that time, even if it wasn't called "the tale of Murasaki," it was renowned enough to be referred to by that name alone. Since she was its author, and since "fuji" (wisteria) has long been called "shitō" (purple wisteria) with considerable connection, it seems more natural to view it as Tō Shikibu being renamed to Murasaki Shikibu with the meaning "O author of Wakamurasaki." From the beginning, having the character for "purple" in her own name while particularly naming the outstanding
【Left Page】
woman in the tale as "Murasaki" would naturally seem unlikely. One should think this through carefully and understand.
○There have been very many commentaries on this tale since ancient times, but since Kitamura Kigin collected the essential points in his Kogetsu-shō and presented them all, the Kogetsu-shō largely suffices for commentaries from before that time. Moreover, even afterward, there have been works like Gen-chū Shūi, Genji Shin-shaku, and Tama no Ogushi that have made various additions, gradually making things clearer. However, since the Kogetsu-shō is complete with the main text and convenient for reading, many people rely solely on it. Although things have become clearer, there are still not few passages that seem somehow unclear. Particularly with interpretations of poems, they only explain the words, and rarely express the heart. Now, without concerning myself with the whole, focusing only on the hundred-odd poems, the method of interpretation differs greatly from the ancient commentaries