東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 6

源氏百人一首 - 翻刻

源氏百人一首 - ページ 15

ページ: 15

翻刻

【右丁】 五十四帖(ごじふよでふ)の巻名(まきのな)の歌(うた)どもをかるたになせる物(もの)也(なり)されど是(これ)は唯(たゞ) 僅(わづか)の歌(うた)をしる而已(のみ)にて物語中(ものがたりちう)の人名(ひとのな)を知(しる)便(たより)にだにならず 増(まし)て其(その)おもむきの片端(かたはし)をも伺(うかゞ)ひ知(しる)べき物(もの)にはあらず且(かつ)此(この)類(るい) のかるたどもは世(よ)に弘(ひろ)く上下(じやうげ)おしなべたるもてあそび物(もの)にあら ずさる物(もの)有(あり)とだに知人(しるひと)まれ也(なり)然(しか)行(おこな)はれざる事(こと)の本(もと)を考(かんがふ)るに 是(これ)其(その)始(はじめ)に絵(ゑ)を加(くは)へたる一巻(ひとまき)の世(よ)に行(おこな)はるゝ物(もの)なければぞかし 兼(かね)て目(め)馴(なれ)ざればたま〳〵かるたに向(むか)ひても取事(とること)あたはず取事(とること) あたはざれば倦(うみ)て楽(たの)しからざる故(ゆゑ)に自(おのづから)行(おこな)はれ難(がた)き也(なり)けりよて 今(いま)は源氏物語中(げんじものがたりちう)なる人々(ひと〴〵)の歌(うた)どもを一人(いちにん)に一首(いつしゆ)づゝあげて傍(かたはら)に 其(その)詠人(よみびと)の小伝(せうでん)をしるし歌(うた)の注解(ちうかい)をなし尽(こと〴〵)く絵(ゑ)を加(くは)へてひた すらかの小倉百人一首(をぐらひやくにんいつしゆ)に習(なら)へる物(もの)也かくて板(いた)【別本による】にゑり世(よ)に弘(ひろ)くなし 【左丁】 て幸(さいはい)に行(おこな)はれそめんにはかのかるたといふ物(もの)さへ類(るい)ひろく 成(なり)もて行(ゆき)て終(つひ)にはおしなべてのもてあそび物(もの)とならば 自(おのづから)此(この)物語(ものがたり)の片端(かたはし)を世(よ)の童子(わらはべ)に口(くち)ならし目(め)なれしむる 一(ひとつ)のはしだてとも成(なり)ぬべしと誰(たれ)彼(かれ)のそゝのかし乞(こへ)るまゝに 此度(このたび)聊(いさゝか)のいとまのひまに筆(ふんで)を起(おこ)して僅(はつか)の間(あひだ)になし終(をへ)つる也(なり) ○此(この)物語(ものがたり)に出(いで)たる人々(ひと〴〵)其(その)数(かず)凡(おほよ)そ三百卅人(さんびやくさんじふにん)余(あま)りある中(なか)に半(なかば)は名(な) 而已(のみ)有(あり)て其(その)わざなき人々(ひと〴〵)也(なり)たとへば六条(ろくでう)の御息所(みやすどころ)は大臣(だいじん)の 娘(むすめ)にて前坊(ぜんばう)の御息所(みやすどころ)也と云(いへ)る類(たぐひ)大臣(だいじん)と前坊(ぜんばう)は唯(たゞ)御息所(みやすどころ) の身(み)の上(うへ)を知(しら)せん為(ため)に書出(かきいで)たるのみにていはゞ其(その)発端(ほつたん)に用(もち)ひ たる而已(のみ)也(なり)総(すべ)【惣】ての人(ひと)を書出(かきいだ)せるに此類(このるい)いと〳〵多(おほ)し又(また)人(ひと)の子(こ) の生(うま)るゝよしは見えて其子(そのこ)のわざとては無物(なきもの)も多(おほ)し其(その)外(ほか)

現代語訳

【右丁】 五十四帖の巻名の歌どもをかるたにしたものである。しかしこれは、ただわずかな歌を知るだけのことで、物語中の人名を知る手がかりにさえならず、ましてその趣の片鱗をも窺い知ることができるものではない。かつ、この類のかるたどもは世に広く上下を問わない遊び物ではなく、そのような物があることさえ知る人は稀である。このように普及しない理由を考えてみると、これはその最初に絵を加えた一巻として世に普及している物がないからである。あらかじめ目に馴染んでいなければ、たまたまかるたに向かっても取ることができず、取ることができなければ飽きて楽しくないために、自然と普及し難いのである。よって今は、源氏物語中にいる人々の歌どもを一人に一首ずつ選んで、傍らにその詠み人の小伝を記し、歌の注解をなし、ことごとく絵を加えて、ひたすらあの小倉百人一首に習ったものである。こうして板木に彫って世に広く普及させ 【左丁】 て幸いに行われ始めるならば、あのかるたという物さえ類が広くなっていって、ついには一般的な遊び物となれば、自然とこの物語の片鱗を世の童子に口馴染ませ目馴染ませる一つの橋渡しともなるであろうと、誰彼のそそのかしや要望に従って、この度わずかな暇の間に筆を起こして、短い間に仕上げたのである。 ○この物語に出てくる人々は、その数おおよそ三百三十人余りある中で、半分は名前だけがあってその活動のない人々である。たとえば六条の御息所は大臣の娘で前坊の御息所であるといった類で、大臣と前坊はただ御息所の身の上を知らせるために書き出しただけで、いわばその発端に用いただけである。すべての人を書き出したものにこの類がたいへん多い。また人の子の生まれる様子は見えて、その子の活動としては何もないものも多い。その他

英語訳

【Right Page】 This consists of karuta made from poems of the fifty-four chapter titles. However, this only allows one to know a few poems and does not even serve as a means to learn the names of characters in the tale, much less to glimpse even a fragment of its essence. Moreover, karuta of this type are not widely popular playthings enjoyed by all social classes, and rare are those who even know such things exist. Considering why they do not gain popularity, it is because there is no widely circulated single-volume work with illustrations added from the beginning. Without prior familiarity, even when one occasionally encounters the karuta, one cannot pick up the cards, and when one cannot pick them up, one becomes bored and finds no enjoyment, making them naturally difficult to popularize. Therefore, now I have selected one poem each from the people in The Tale of Genji, recorded brief biographies of each poet alongside, provided commentary on the poems, and added illustrations throughout, creating something modeled entirely after the Ogura Hundred Poets collection. Thus engraving it on woodblocks and spreading it widely in the world, 【Left Page】 if it fortunately begins to gain popularity, even that thing called karuta would diversify widely, and if it eventually becomes a common plaything, it would naturally serve as a bridge to familiarize the children of the world with fragments of this tale through both hearing and sight. Following the encouragement and requests of various people, I took up my brush during this brief leisure time and completed this work in a short period. ○Among the people appearing in this tale, numbering approximately over three hundred and thirty, half are people who exist only in name without any activities. For example, the Rokujō Lady is described as the daughter of a minister and consort of the former crown prince—the minister and former crown prince are mentioned only to inform us of the Lady's background, used merely for her introduction, so to speak. Among all the people described, this type is extremely numerous. Also, while the birth of people's children is mentioned, many of these children have no activities described. Besides these,