翻刻
【右丁 上段】
紫上(むらさきのうへ)の童女(わらは)也この歌(うた)は紫(むらさきの)
上(うへ)大病(たいべう)の時(とき)によりましとて
物(もの)の気(け)を此童(このわらは)によせて口(くち)
ばしらしむるに此度(このたび)むら
さきのうへをかくなやます物(もの)
の気(け)何物(なにもの)ぞ名告(なのり)せよと
源氏(げんじ)の問(とひ)給(たま)へるに答(こた)へたる歌(うた)
也 心(こゝろ)は我身(わがみ)こそ今(いま)は生(せう)を替(かへ)
て本(もと)の姿(すがた)ならねども君(きみ)はそ
のかみのまゝの君(きみ)にて在(あり)な
がら空(そら)知(しら)ず顔(がほ)し給(たま)ふはつれ
なしと也 六条(ろくでう)の御息所(みやすどころ)の
死霊(しれう)の 入(いり)て詠(よま)せたる歌(うた)也
【同 下段】
物気童(ものゝけのわらは)
我身(わがみ)こそ
あらぬさま
なれ
それながら
そらおぼれ
する君(きみ)は
きみなり
【左丁 上段】
紫上(むらさきのうへ)の女房(にようばう)なりこの歌(うた)は
紫上(むらさきのうへ)かくれ給ひて一周忌(いつしうき)
のはてにみづからの扇(あふぎ)に
かきつけて源氏(げんじ)に御覧(ごらん)ぜさ
せし歌(うた)也こゝろはむらさきの
うへを恋(こひ)なく涙(なみだ)はいつを限(かぎ)り
ともなきものを世(よ)に一周(いつしう)
忌(き)とて今日(けふ)をはてといふ
は何(なに)のはての心(こゝろ)やらんと也
きはは極(きは)にて限(かぎり)り【衍】とのふに
同(おな)じ
【同 下段】
六条院中将君(ろくでうのゐんのちうじやうのきみ)
きみ恋(こふ)る
なみだは
際(きは)も
なき
ものを
けふ
をば
何(なに)の
はてと
いふらむ
現代語訳
【右丁 上段】
紫上の童女である。この歌は紫上が大病の時に憑りましと言って物の怪がこの童女に憑いて口をきかせるのに、この度紫上をこのように悩ます物の怪は何者か名乗れと源氏が問われたのに答えた歌である。歌の意味は、我が身こそ今は生を替えて元の姿ではないけれども、君はその昔のままの君でありながら、何も知らない顔をされるのはつれないということである。六条の御息所の死霊が憑いて詠ませた歌である。
【同 下段】
物の怪の童女
我が身こそ
あらぬ様なれ
それながら
空とぼけする
君は君なり
【左丁 上段】
紫上の女房である。この歌は紫上が亡くなられて一周忌の終わりに自らの扇に書き付けて源氏に御覧に入れた歌である。歌の意味は、紫上を恋い慕く涙はいつを限りともないものなのに、世に一周忌と言って今日を終わりというのは何の終わりの意味なのだろうかということである。「きは」は「極」で「限り」と同じ意味である。
【同 下段】
六条院中将君
君恋ふる
涙は際も
なきものを
今日をば何の
果てと言うらん
英語訳
【Right Page, Upper Section】
She was a young attendant of Murasaki-no-ue. This poem was composed when Murasaki-no-ue fell gravely ill and a spirit possessed this young girl, speaking through her. When Genji asked what spirit was tormenting Murasaki-no-ue in this way and demanded it identify itself, this was the spirit's response. The meaning is: though my body has now changed its existence and is no longer in its original form, you remain the same lord as before, yet you pretend not to know me—how heartless! This poem was composed by the vengeful spirit of Rokujō Miyasudokoro speaking through the possessed girl.
【Same, Lower Section】
The spirit-possessed child
Though my body
has taken on a different form,
you remain
the same lord, yet pretend
ignorance—how cruel!
【Left Page, Upper Section】
She was a court lady serving Murasaki-no-ue. This poem was written on her own fan at the end of the first anniversary of Murasaki-no-ue's death and shown to Genji. The meaning is: the tears I shed in longing for you, my lady, have no end, yet the world calls today the conclusion of the first anniversary—what kind of ending can this possibly be? "Kiwa" means "extreme" and has the same meaning as "limit."
【Same, Lower Section】
Chūjō-kimi of Rokujō-in
The tears I shed
longing for you
have no bounds—
so what kind of ending
can today possibly be?