東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 6

源氏百人一首 - 翻刻

源氏百人一首 - ページ 9

ページ: 9

翻刻

【右丁】 かしとていさゝかかいつくるに              なむ有ける    天保十一年十月     藤原空美 【左丁】 源氏百人一首     〇総論              黒沢翁満述 ○物語(ものがたり)といふ物(もの)は唐土(もろこし)の小説(せうせつ)今(いま)の世(よ)の草双紙(くさざうし)なりされば本よ り跡形(あとかた)もなき事(こと)又(また)はいさゝかの故事(ふること)などを拠(よりどころ)として世(よ)に奇(あや)しく めづらかに見(み)る人(ひと)の目(め)をよろこばしむらん事(こと)などを殊更(ことさら)に 思(おも)ひ設(まうけ)て作(つく)りなせる物(もの)なりさはいへど其(その)作(つく)りざまも又(また)種々(くさ〴〵)有(あり) て或(あるひ)は長(なが)き事(こと)をつゞまやかに短(みじか)く書(かけ)るもあり又(また)は短(みじか)き事 を引延(ひきのべ)てなだらかに書(かけ)るもあれども大方(おほかた)は世(よ)になく奇(あや)しき 事(こと)を世(よ)にあるさまに書(かき)なして男女(めを)のなからひ物(もの)の義理合(ぎりあひ) など人情(にんぜう)にかなへらんやうに作(つく)れる物(もの)なる事(こと)全(またく)今(いま)の草(くさ) 双紙(ざうし)に異(こと)なる事なし其文(そのぶん)の雅(が)なると俗(ぞく)なると趣向(しゆかう)の

現代語訳

【右丁】 ということで、少しばかり書き記すのである。              ということがあった    天保十一年十月     藤原空美 【左丁】 源氏百人一首     ○総論              黒沢翁満述 ○物語というものは中国の小説、今の世の草双紙のようなものである。したがって、もともと根拠となる事実が全くないことや、あるいは僅かな故事などを根拠として、世の中の人々が不思議で珍しく思い、見る人の目を楽しませるような事柄などを、わざわざ考え出して作り上げたものである。そうは言っても、その作り方にもまた様々なものがあって、あるものは長い事を簡潔に短く書いているものもあり、またあるものは短い事を引き延ばしてゆったりと書いているものもある。しかし大体は、世の中にない不思議な事を、世の中にあるかのように書き表して、男女の関係や物事の道理、人情に適うように作られたものであることは、まったく今の草双紙と変わりはない。その文章が雅であるか俗であるか、趣向が

英語訳

【Right Page】 And so, I write down a little bit here.              Thus it came to be    Tenpō 11, October     Fujiwara Soramitsu 【Left Page】 The Tale of Genji One Hundred Poems     ○General Introduction              Kurosawa Okimaro's Account ○What we call "monogatari" (tales) are like Chinese novels or present-day kusazōshi (illustrated storybooks). Therefore, they are things created by deliberately devising events that have no basis in fact whatsoever, or that use some minor historical incident as a foundation to create strange and marvelous things that would delight the eyes of those who see them. That said, there are also various ways of creating them: some condense long events into brief, short writings, while others extend short events into leisurely, flowing narratives. However, most generally write about strange things that do not exist in the world as if they were real, creating stories about relationships between men and women and matters of principle that conform to human emotions—this is exactly the same as today's kusazōshi. Whether the writing is elegant or vulgar, whether the conception is