翻刻
▲ 初嶋(はつしま) あたみより海上三里東南にあり方一里あまりの小嶋
なりあたみより眺(のぞめ)は鯨(くじら)の浮(うき)たるがことし古歌に沖(おき)の小嶋と詠(えいじ)たる
はこれなりといふ此 沖(おき)の小じまを詠(ゑい)じたる頼朝(よりとも)の歌 続後撰和歌(ぞくこうせんわか)
集(しう)に見えたり ▲大嶋 あたみより南海上十八里嶋の中に三つの高(かう)
山ありて峰より烟(けふ)りをいだす事 浅間(あさま)山のごとし熱海(あたみ)の里人(さとびと)のものがたりに
此嶋の人物(じんぶつ)時世(じせい)に異(ことなる)事多し女は眉(まゆ)をそらづ歯(は)を染(そめ)ず髪をゆふ事
なくたれ髪にして髪さきをむすびたれ体巻(はちまき)をするを礼義(れいぎ)とす体まきに
貴賤(きせん)のたがひあり絹(きぬ)と木綿(もめん)を以てわかつ近年 昌平(せうへい)の女風 孤嶋(ことう)にも
うつりて時世(じせい)の粧(よそを)ひ学(まな)ぶ嶋もあれば大嶋の女も時世の粧を学んと
欲(ほつ)すれども此嶋の風俗(ふうぞく)として賢才(けんさい)の女を撰(えらみ)て女衆(をんなじゆ)の魁(かしら)としすべて
女風を司(つかさど)らすこれを俚言(りげん)に女 頭(かしら)といふさるゆゑに村中の女どもかの時世(いまやう)
の嶋田(しまだ)髪にゆはんとてまづかの女 頭(かしら)にその事を乞(こ)ひけるに女頭の曰(いはく)われらも
しかおもへども髪の風にかぎらずすべての事むかしをすてゝ今にうつるは一 家(か)の破(やぶ)れ
なり一 家(か)のやぶれは嶋(しま)の中(うち)の破(やぶ)れなれば許(ゆる)しがたしとて今にたれ髪なりとぞ
遠(とほ)き嶋山(しまやま)にもかゝる賢婦(けんふ)あるはありがたき 御代(みよ)のしるしなるべしたれ
髪にて体巻(はちまき)する女の風俗の古風(こふう)なる事は古き絵巻(ゑまき)を見てもしるべし他郷(たきやう)に
交接(まじわら)ざる洋嶋(ようとう)なれば古風のまゝを存(そん)したるなるべし
▲ 鸚鵡石(あふむせき) 熱海の西山を越て二リ半 丹那(たんな)村の山 間(あい)にありひとゝせあたみの某(なにかし)
春の頃一家をしたがへてあふむ石にいたり石のまへなる平地に氊(せん)しきならべて酒くみ
かはしかねて用意(ようい)したる義太夫 節(ぶし)をかたらせ歌舞妓(かぶき)のものゝ声(こゑ)を似(に)せるものなど
其技(そのわざ)をさせしにあふむ石に響(ひゞく)事人あつて答(こたふ)るごとく声とひゞきとのあいだ一毛(いちもう)を
入れずとぞ石の丈(たけ)は六尺あまり幅(はゞ)は四尺もあるべし石面(せきめん)に小さき孔(あな)こゝかしこに