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【右側上段】
れ紛雑の甚しきと。傍らに少娘あり。曰く。妾が親戚故旧(しんせきこきう)の横
浜に在る者数戸。今回の大火に罹り各自 非難(ひなん)の場所を異(こと)にし尋
ぬるに易(やす)からず。因りて親子交代して。日々其所在を尋ぬと。蓋(けだ)
し世間斯の如き輩少なからざるべし。既にして品川駅に扺る
乗客多くして降者少なし。大森駅を過ぎ川崎駅に扺れば。消防
夫十有余名消防の器具(きぐ)を携へ。乗車するに会す。想ふに焼失地
の余燼を取片附んが為に赴く者なるべし。進んで神奈川駅に着
す。降者少くして乗客甚だ多し。乗客の話に拠れば。罹災者の
遠く神奈川に立退(たちのき)たる者多し。故に斯く雑沓(ざつとう)するなるべしと。
果して車中に罹災者(りさいしや)ありて。火災の猛烈なりしを喋々するを聞
けり。忽にして横浜に達す。群集を排して停車場外に至れば。河
水一帯を隔(へだ)てゝ焼失地に燼煙の蒸々として昇(のぼ)るを見る。錦橋(にしきばし)を
渡り。都橋(みやこばし)に出れば路上に家財の散乱(さんらん)するを見る。吉田町に至
れば。和洋折衷(わようせつちう)の巨屋(きよおく)儼然介立するあり。是そ請負者清水満之
助氏の居宅(きよたく)なり。氏は火災の起るや。風勢の猛烈(もうれつ)なるを以て容(よう)
易(ゐ)に鎮火せざるを期し。東京に打電(だでん)して消防夫を召集し。四千
余円を賭(と)して火災を免かるゝを得たりと云へり。吉田町を過ぎ
吉田橋に扺れば。伊勢佐木町警察署の煉瓦屋僅かに外郭(ぐわいくわく)を存し
て焼燼(せうじん)せるを見る。其の入口に蓬葺(ほうしふ)の仮屋を設(もふ)けて雨露(うろ)を防ぎ
数名の警官(けいくわん)在り。傍らに貼紙して曰く。
当分の内伊勢佐木町警察署事務警察本部に於て取扱ふ
と。門の右に喞筒置場(ぽんぷおきば)あり。蒸気喞筒の焼失せるを見る。聞く
処に拠れば。もと破損して使用(しよう)に堪へざりしものなりと。
橋畔に掲示(けいじ)あり。大火御見舞として。材木二割安販売。但車御
持参の事。内田町八丁目福井材木店。と其の志甚だ嘉すべし。
姿見(すがたみ)町を経て羽衣町に扺り。厳島神社に参詣するに。石燈籠(いしとうろう)は
砕(くだ)け。石鳥居は全壊(ぜんくわい)して僅かに其の楚を留むるのみ。進で境内
【右ページ下段】
に入れば池面に器具の散乱(さんらん)浮動し無数の魚屍を見る。大なる
は三尺余。小なるも五寸を降(くだ)らず。池の中央なる噴水器(ふんすゐき)は焼損
し。周囲の鉄柵(てつさく)は崩壊(ほうくわい)して跡だになし。内陣(ないじん)は土蔵造りなるを
以て幸ひに延焼を免かれたるも。拝殿並びに末社(まつしや)は悉く焼亡し
て。横浜一と誇(ほこ)りたる水舎(みずや)も焼燼して。石造の水盤(すいばん)を存するの
み。(本社は初め関内洲干町(くわんないしうかんちやう)に在りて。有名なる弁天社なりし
か。明治四年の頃 当所(たうしよ)に移(うつ)りたる者にして。氏子甚だ広(ひろ)く。附
近は勿論関内一円に及び毎年七月 例祭(れいさい)の頃は甚だ慇賑なりき)
同社の人の話によれば。内陣は目塗りをなさゝりしか幸ひ無事
に残(のこ)りたるは。神威(しんい)の然らしむる所なるべしと。去て伊勢佐木
町通りに出で。蔦座(つたざ)の焼跡を見るに。余(あま)す所は。周囲の煉瓦塀
のみ。偶群集(たま〳〵ぐんしう)の場内を覗(うかゞ)ふに会す。因て之を見れば。灰燼(くわいじん)中よ
り白骨を拾ふて棺に納むるなり。人語りて曰く囃方(はやしかた)望月太平な
るべしと。傍人 襤褸様(ぼろやう)のものを携へ示していふ。斯は死者の膽(きも)な
りと一見人をして戦慄(せんりつ)せしめたり。此処を距る数十歩にして。洋
酒食料品商松坂屋前に至る。行人 指示(しゞ)していふ。彼の石蔵(いしぐら)は主人
其の他三名の焚死(ふんし)せし所なりと。熟視(じゆくし)すれば。宏壮(こうさう)なる石造土
蔵二棟の現存するあり。惨死(さんし)を遂げし所は。奥蔵(おくぐら)なりといふ。
賑町に至るに勇座、賑座、両国座は絶て跡なく。僅かに板囲に座(ざ)
名(めい)を記(しる)すに止まり。空しく焼土の累々たるを見るのみ。進で若
葉町に至り始めて。半焼の家屋を見る。形状(けいじやう)甚だ奇なる以て如
何に消防の困難(こんなん)なりしかを想像(さうぞう)すべし。左折し雲井町の湯屋
勝盛館前に至れば。館前に警官三名 佇立(ちよりつ)するあり。更に屋内を
窺(うかゞ)へば。十余名の巡査 起居(ききよ)するを見る。乃ち刺(し)を通して故に問
ふ。警官徐(けいくわんしづ)かに語りて曰く。昨夜暴漢百余名来りて主人を殴打(おうだ)
し重傷(ぢうしやう)を負せしを以て。来りて保護(ほご)するなりと。巷説(かうせつ)を聞くに
同館は他より火元と認られしに拘はらず。本屋(おもや)の無地なりしを
【左ページ】
羽衣町厳島神社焼失地之図
【上部に横書き】
焼跡に露店を出すの図【下部に横書き】