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【左側上段】
喜びて祝杯を挙げ。且つ率先して板囲(いたがこひ)をなし。将(まさ)に営業を開(くわい)
始(し)せむとするを以て。災民激怒(さいみんげきど)して此に至りしなりと。火災の
畏るべきは此の一事を以て證すべし。東折して千秋橋(せんしうばし)に至れは
焼原|荒漠惨状(かうばくさんじやう)言語に尽(つく)し難(がた)し。橋側に派出所あり家具の累積(るゐせき)
するを見る。少娘老媼(せうぢやうらうあう)来りて。自己の家財を尋ね。警官親しく
斡旋(あつせん)の労(らう)を執る。木材を運ぶ車。焼土を擔(にふ)【ルビになの誤りか】ふ人夫。電柱を樹る
工夫。商職人の往来織るが如く甚。だ雑沓(ざつとう)を極む。河岸に沿て鶴
の橋を渡り扇町に至り。罹災の知己を訪ひ。亀の橋を経て元町に
赴き返りて西の橋に出で居留地を廻(めぐ)り海岸通りを日本|波止場(はとば)に
来りて小憩し。転じて避難所(ひなんしよ)横浜学校を見る。災民漸く去て止
まる者十有余人甚だ静謐なり。夫より弁天通(んてんとう)りを経て吉田橋に
出で。再び焼失地を一周し福富町に至れば、宏大なる福富郵便
電信支局は焼亡して余す所煉瓦の外郭のみ局前に掲示あり。
郵便物焼失せず当分の内桜木支局内に於て事務取扱候事
柳町に来れば。何(いづ)れの呉服商にや。反物数十種累積して両端の
燃焼(ねんせう)するあり。路傍に莚(むしろ)或は戸板抔を併べ夕飯を喫する者あり
顔色憔悴(がんしよくせうすゐ)して。困憊(こんぱい)の状一目 瞭然(れうぜん)たり。柳橋を渡り大江橋(おほゑばし)を経
て停車場に至り。午後七時三十五分発車に乗じ帰京す。乗客群
参して容易に乗るへからず。僅かに群集を排して座席を得たり
新橋にて下車し。袂別(けつべつ)して帰宅す。以上は予が見聞せし実況を
掲るのみ其詳細の事項は前項に記載せり。
【縦区分線】
●富山市の大火
●出火の状況
明治三十二年八月十二日は富山市に取りて如何なる厄日なりし
ぞ、午前零時といふに、市の南端中野口より火焔を揚げ吹き凄
【左側下段】
みたる南風に、焔烟は忽地全市を掩ひ、殆んど火元の何方に
あるやを知るに苦しましめたり。警鐘の音さへも物に触るゝ風
声の烈しかりし為めに。十分には聴き取れず、市民は何れも満
市灰燼の惨事を期し、若幼(ちうえう)の避難、貨物の搬出に各箇(かくこ)の力を尽
し、敢て猛烈なる火勢に敵(てき)すべくも見えず、警察消防の力も其
甲斐(かひ)なく、火焔は見る〳〵北進して破竹(はちく)の如く、飛火は処々に
火の手を挙げたれば、人をして応援の暇あらしめず、遂に凡そ
五千余戸の類焼に及ひたり。
▲火元 本市中野新町桑田安左衛門とて、石油卸小売商の家に
して、失火時刻は午前零時三十分なりき。
▲出火の原因 火元桑田安左衛門方に於て、家人に死亡者(しぼうしや)あり
けるが、同夜入棺を為(な)したる後、其の用に供せし蝋燭火を石油
鑵に落(おと)したるが原因にて、同家は石油の卸及小売商なれば、一
鑵の石油は忽ち数鑵に燃移(もえうつ)り、見る間(ま)に大火(たいくわ)に至らしめしもの
なり。
▲第一の火の手 中野新町にて発(はつ)したる火の第一手は、左方中
野新町を限りとし、右手防火線を限りとして、一直線に北進
し、忽ち二番町大島屋の角(かど)より東西本願寺別院の中間(ちうかん)を境界と
して、桜木町に突入(とつにう)し、同廓一丁目及ひ二丁目三丁目を焼払(やきはら)へ
り。
▲飛火 是より先(さ)き第一の火の手が、中野新町を下(くだ)るや、飛火
は木町に落(お)ちて、恰(あた)かも先鋒隊の姿(すがた)をなしつゝ、先づ桜木町に
突進し、同廓の二丁目を焼(や)き払(はら)へり。
▲第二の火の手 第一の火の手は、中野新町の電燈会社にて止
り、同会社の建物を全焼(ぜんせう)したる余勇を皷して、山王町なる県庁
に移(うつ)りたるが、第一の火の手か桜木町に入るまで、準備成らざ
りし消防組は、此時漸く出揃(でそろ)ひしを、警察官等如何に指揮(しき)しけ