翻刻
【右側上段】
てる山王町に在り。本年四月五日旧庁より引移(ひきうつ)れるなり。其建
物は旧物産陳列所を其一部とし、隣地(りんち)日枝神社(ひえじんじゃ)境内(けいだい)其他民有地
を買収(ばいしう)して、本庁を新築し若くは増築修繕をなしたる者、殊に
構内警察部庁舎の如きは、火災に先だつ三日を以て移転(いてん)し、其翌
此災に罹(かゝ)れるなり。初め中野新町に火起りて直北(ちょくほく)に延焼線を連(れん)
絡(らく)する頃より、風模様俄に変りて、西部に蔓延(まんえん)せんとせしに因
り、県官等は令して消防(せうばう)の中心を此に集め、表面より襲来する
火勢の防禦(ぼうぎよ)に力(つと)めたりと云ふ、是れ県庁の背後(はいご)には、棟続きの
堅牢(けんらう)なる倉庫ありて、是ぞ県庁搦手の要害(えうがい)即ち防火壁なりと思
へるが為にて、総(すべ)ての官文書類は、此倉庫に収(をさ)められ、縦令県
庁舎は不幸(ふかう)にして灰爐となるも、よもこゝには及ふましと思ひ
しは全くの空頼みにて何ぞ知らん、夫の電灯会社を焼(や)ける火
は、他の民家を一掃して南方より襲来(しうらい)し、此堅牢なる倉庫を焼
き、遂に県庁を烏有(ういう)に帰(き)せしめたり。
●四戸全存す
さしも強烈(きやうれつ)横暴(わうばう)なる全面の火中に於て、而も繁華の中心たる二
番町に、一戸及び東四十物(ひがしあいもの)町に、三戸|些少(いさゝか)の破損もなく、火災
を免(まぬ)かれて、荒涼凄惨たる焦土、原野(げんや)の中に屹立するものあ
り。二番町のは永井平助といひ西洋小間物を商ふ。東四十物町
のは二戸|相並(あひなら)び、他の一戸は其直向に方(あた)り、其中の一は中田清
兵衛といふ薬種商(やくしゆしやう)にして、一は漆器商松本宗平、他の一は写真
師黒田正孝の宅なり、右四戸とも純粋(じゆんすゐ)の土蔵造りにて、斯くは
火中に全きを得たるよし、此(この)存在(そんざい)の事に就き一奇談あり。中田
清兵衛は市内第一流の薬種商にて、名誉職をも勤め、財産家を
以て聞ゆる家なるが、迅速(じんそく)強猛(きやうまう)なる火勢已に家の四面より襲
ひ来りしかば、逃るに途(みち)なく、且|建築(けんちく)の堅牢(けんらう)を頼みてや、一家
十数人|安静(あんせい)に家居(かきよ)し、四辺の窓戸を塞ぎ、店頭の外に在る鉄製
【右川下段】
の戸を閉ぢて、運(うん)を天に任(まか)せ、不幸にして死することあるも、
一家|相集(あひあつま)りて、所謂(いはゆる)一蓮託生(いちれんたくしやう)の仏像に縋らんと一決したるよ
し。然るに家屋の堅牢其効|空(むな)しからす、家も人も全かりしに因
り、直に罹災者(りさいしゃ)に金千円を贈(おく)らんとて手続きを其筋に求めたり
と、家屋の建築(けんちく)は実に心すへきことなり。
●電灯会社の被害
電灯株式会社は星井町に在りて、去る五月一日より点火を開
始し、十万円の資本(しほん)なるが開業当座は送電の分量(ぶんりやう)、其他不整頓
にて、使用申込人も少かりしも、漸く七月以後となりて、稍(やゝ)其(その)
緒(しよ)に就き随て加入者も増加(ぞうか)し、下半期は多少の収益(しうえき)もあらんと
するに臨み、猛烈(まうれつ)なる火軍の為に、挙て烏有に帰し、電灯柱百
二十八本を焼失(せうしつ)せし程なれは、諸器械其他財産の焼失せしもの
も夥(おびたゞ)しかるべく、誠に気の毒の至りなり。
●教習生の努力
本巡査教習所学生は、出火に際し直ちに警察部へ馳附(はせつ)け、書類
の運搬(うんぱん)を終りし為め、幸にして焼失せす。又た上新川郡役所、
富山警察署、富山税務署書類も、類焼を免かれたり。
●警察署及ひ消防夫の応援
県下各警察署及び分署にては、富山市大火の報(ほう)に接(せつ)するや、夫
々巡査を引率し、応援として、何れも駈附来りて、富山警察署
巡査に加はり大に尽力したり。
●消防
又他より応援せし消防夫は五百石、高岡、小杉、四方、新湊、堀岡、
八尾、水橋、東岩瀬、滑川、魚津、上市、西呉羽等なりき。
●各j保険会社の支払金
今回の火災に就て支払(しはら)ふへき金額は、大阪保険会社にて拾五万
円、関東保険会社にて八万円、酒造保険会社にて拾万円内外な
【左側図】