翻刻
【16コマ】
【右丁】
かへし
見るまゝに涙の雨そふりまさる
きえしけふりの跡のさわらひ
これは延政門院の一条とかや。はやうもの
いひたりし女とそ。またそれかかたより
わかかたのとたえにしりぬ外にまた
筧の水のわくるこゝろは
もれけんとつゝましけれと。猶くるし
【左丁】
き方の事はおもひすてかたく。心のとゝ
まる物とて
ともすれはつもる月日をかこつかな
人目はひとのこゝろならねは
かくれたるよりあらはなるはなし。人も
しりけるにや折〳〵かよひたるかた
も。みそかになりぬ。しのひて行たれと
えあはてかへりきて。よみてつかはしける
現代語訳
【右丁】
返し
見るままに 涙の雨ぞ 降りまさる
消えし煙の 跡のさわらび
これは延政門院の一条とかや申す方で、かつて(兼好と)言葉を交わしたことのある女性であったとのこと。またその方の側から(詠まれた歌)——
わが方の 訪(と)絶えにし 知りぬ 外にまた
筧(かけひ)の水の 湧くる心は
(この歌が)漏れ伝わったかと思うと恥ずかしいけれども、それでもなお苦しい
【左丁】
方面のことは思い捨てがたく、心の離れられないものとして——
ともすれば 積もる月日を かこつかな
人目は人の 心ならねば
隠れたることは、表に現れるものより(かえって)明らかになることはないと言うが、人も知るところとなったのであろうか、折々通っていた先も、ひそかなことになってしまった。忍んで行ったけれども、会うことができずに帰ってきて、詠んで送った(歌)——