行状記・評伝

コレクション: 行状記

種生傳(兼好法師行状) - 翻刻

種生傳(兼好法師行状) - ページ 4

ページ: 4

翻刻

【4コマ】 【右丁】 の尊。かんみむすひの尊。かみはやたまの みこと。市ちたまの尊。をきとたまの尊。 そのつきに天児屋命と申奉るは。忝 けなくも春日の御神にておはします。其 御子天の押雲の命。其後を天種子命( タネ  ) 。うさつをみの命。みけつをみのみこと。 いかつをみの命。なしとをみの命。また みゝの命。此時にや 【左丁】 天皇《割書:仲哀》はしめて。卜部の姓を賜ひし とかや。其子 《振り仮名:大小はしの命|オホコ        》。あまひさ卿。 真人の大連。かまおほきみ。くろ田大連公。 ときは大連。また中臣連の姓をたまふ かたのこ大連。其子二人。一をはみけこの 卿。其子は大織冠鎌足にてまします。二を はくに子の大連。其子国足。また其子を 意美麻呂(お      )といひける。大織冠は朝につ

現代語訳

【4コマ】 【右丁】 ……高皇産霊(たかみむすひ)の尊、神皇産霊(かんみむすひ)の尊、神速玉(かみはやたま)の 命、市玉(いちたま)の尊、沖止玉(をきとたま)の尊。 その次に、天児屋命(あめのこやねのみこと)と申し上げる方は、かたじけなくも 春日の御神でいらっしゃいます。その 御子、天押雲命(あめのおしくものみこと)。その後(のち)に天種子命(あめのたねこのみこと)、 宇佐都臣命(うさつをみのみこと)、御食津臣命(みけつをみのみこと)、 厳臣命(いかつをみのみこと)、梨迹臣命(なしとをみのみこと)、また 耳命(みみのみこと)。この時にや、 【左丁】 仲哀天皇が初めて卜部の姓を賜ったと かや。その子、大小橋命(おほこはしのみこと)。天久斯麻呂卿(あまひさまろのきょう)、 真人の大連(おおむらじ)、竈大君(かまおほきみ)、黒田大連公(くろだのおほむらじこう)、 常磐大連(ときはのおほむらじ)。また中臣連の姓を賜う 堅子大連(かたのこのおほむらじ)。その子二人。一人は御食子(みけこ)の 卿。その子は大織冠鎌足(たいしょっかんかまたり)でいらっしゃいます。二人目は 国子(くにこ)の大連。その子国足(くにたり)。またその子を 意美麻呂(おみまろ)と言いました。大織冠(鎌足)は朝廷に仕え……

英語訳

[Frame 4] [Right folio] …Takamimusubi-no-Mikoto, Kamimusubi-no-Mikoto, Kamihayatama-no-Mikoto, Ichitama-no-Mikoto, Okitotama-no-Mikoto. Next in line, the deity known as Amenokoyane-no-Mikoto is none other than the venerable god of Kasuga Shrine. His child was Amenooshikumo-no-Mikoto. Thereafter came Amenotaneko-no-Mikoto, Usatsuomi-no-Mikoto, Miketsutsuomi-no-Mikoto, Ikatsuomi-no-Mikoto, Nashitoomi-no-Mikoto, and Mimi-no-Mikoto. It was perhaps around this time that [Left folio] Emperor Chūai first bestowed the surname Urabe. His child was Ōkohashi-no-Mikoto. Then came Lord Amahisamaro, Mahito-no-Ōmuraji, Kama-no-Ōkimi, Kuroda-no-Ōmuraji-kō, Tokiwa-no-Ōmuraji. The surname Nakatomi-no-Muraji was then granted to Katanoko-no-Ōmuraji. He had two children. The first was Lord Mikeko, whose child was none other than Taishokkan Kamatari (Fujiwara no Kamatari). The second was Kuniko-no-Ōmuraji, whose child was Kunitari, and whose grandchild was called Omimaro. Taishokkan (Kamatari) served at court…