翻刻
り此所山道険阻にしてたへて人工をいたすへき
所にあらす相伝ふ古の時鬼神の造建する所也故に
名けてトイヘルスミュール」と云《割書:「トイヘルス」ハ鬼魔をいふ|「ミュール」ハ垣なり》又同国中「オー
スラン〃レイキ」の中「ドナアウ」といへる大河の曲流する所の高き岩
石の上に奇巧なる高搭あり上層に蓋なし是昔し「ウ
ュルッ〃ビュルグ」《割書:地|名》の僧官「ブリユノ」といへる人の徳に感して鬼
神是を造れり故に名けて「トイフルス、トヲルン」と云馬哈黙(マホット)ハ
元明諸書に所謂の黙徳那(メデナ)国王謨罕驀徳なるものにして
その建つる所の教ハ則所謂回々教又天方教なるもの也
西書に所載を按するに馬哈黙ハ亜刺比亜国の人にして
其父は仏教の徒母ハ「ヨウデン」の女なり《割書:如徳亜の子孫是を称|して「ヨウデン」といふ》西洋
革命の後第五百七十年の五月五日に亜刺比利亜の黙加(メッカ)の地
に生る《割書:五百七十年ハ陳の宣帝大連二年目|欽明天皇の三十一年にあたる》馬哈黙父の業経て大富
の買人たり其後「ヤコビチセ」教の徒「バシラス」《割書:人|名》「子ストリア」教の
僧「セルジウス」《割書:僧|名》およひ「ヨヲデン」の人等に随ひて道を学ひ
諸教を混集して加ふるに奇異の事を以てし
遂に馬哈黙教をて亜差比亜諸国に教を施し「アルコ
コラン」といへる経三十部を著すけり《割書:明人の説に其経有三十蔵|とあるものハはなるへし》
其後六百二十年《割書:唐の高祖|武徳三年》の七月十六日に黙加より黙徳那
の地に遷居し六百三十一年《割書:唐の太祖|貞観五年》の六月十七日に黙徳那
に於て没す寿六十二因て其地に葬る其西紅海を去る事三
日程黙加の都城を去事四日程あり遠近諸国の人多くこゝに