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コレクション: STAGE9

西洋雜記 坤 - 翻刻

西洋雜記 坤 - ページ 26

ページ: 26

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り此所山道険阻にしてたへて人工をいたすへき 所にあらす相伝ふ古の時鬼神の造建する所也故に 名けてトイヘルスミュール」と云《割書:「トイヘルス」ハ鬼魔をいふ|「ミュール」ハ垣なり》又同国中「オー スラン〃レイキ」の中「ドナアウ」といへる大河の曲流する所の高き岩 石の上に奇巧なる高搭あり上層に蓋なし是昔し「ウ ュルッ〃ビュルグ」《割書:地|名》の僧官「ブリユノ」といへる人の徳に感して鬼 神是を造れり故に名けて「トイフルス、トヲルン」と云馬哈黙(マホット)ハ 元明諸書に所謂の黙徳那(メデナ)国王謨罕驀徳なるものにして その建つる所の教ハ則所謂回々教又天方教なるもの也 西書に所載を按するに馬哈黙ハ亜刺比亜国の人にして 其父は仏教の徒母ハ「ヨウデン」の女なり《割書:如徳亜の子孫是を称|して「ヨウデン」といふ》西洋 革命の後第五百七十年の五月五日に亜刺比利亜の黙加(メッカ)の地 に生る《割書:五百七十年ハ陳の宣帝大連二年目|欽明天皇の三十一年にあたる》馬哈黙父の業経て大富 の買人たり其後「ヤコビチセ」教の徒「バシラス」《割書:人|名》「子ストリア」教の 僧「セルジウス」《割書:僧|名》およひ「ヨヲデン」の人等に随ひて道を学ひ 諸教を混集して加ふるに奇異の事を以てし 遂に馬哈黙教をて亜差比亜諸国に教を施し「アルコ コラン」といへる経三十部を著すけり《割書:明人の説に其経有三十蔵|とあるものハはなるへし》 其後六百二十年《割書:唐の高祖|武徳三年》の七月十六日に黙加より黙徳那 の地に遷居し六百三十一年《割書:唐の太祖|貞観五年》の六月十七日に黙徳那 に於て没す寿六十二因て其地に葬る其西紅海を去る事三 日程黙加の都城を去事四日程あり遠近諸国の人多くこゝに