翻刻
邏巴(ろつぱ)を蚕食(さんしよく)【左ルビ:ダン〳〵キリトル】して大半(たいはん)其(その)号令([が]うれ[い])に従(したか)へども是班牙(いすはにや)
との戦(たゝか)ひ未(いま)だ終(おは)らず而(しか)して英吉利(えげれす)も未(いま)だ愈々(いよ〳〵)
戦(たゝか)ひ克(か)つの利(り)を收(おさ)むること能(あた)はず俄羅斯(おろ[し]や)も亦(また)
今(いま)我(われ)に和(くは)すと雖(いへ)ども其心(そのこゝろ)測(はか)るべからず然(しか)るに
一千八百十一年 我国(わがくに)の文化(ぶんくは)九 壬申(みづのへさる)年(とし)俄羅斯(おろしや)雪(すう)
際亜(えしや)再(ふたゞ)【ママ】ひ兵(ひやう)を挙(あげ)て仏蘭西(ふらんす)を伐(う)つ仏蘭西(ふらんす)大(おほ)ひに
兵(ひやう)を備(そな)へて之(これ)を防(ふせ)ぐ雪際亜(すうえしや)の兵(ひやう)速(すみやか)に黄祁(どいつ)の数(す)
州(しう)を下(くだ)す但(たゞ)し孛漏生(ぷろいせん)の諸城塞(しよじやうさい)及(およ)び「ダンチフ」は
尚(なを)仏蘭西(ふらんす)に属(ぞく)す此時(このとき)黄祁(どいつ)。波羅尼亜(ぽろにや)の地方(ちはう)には
諸国(しよこく)の軍勢(ぐんぜい)雲(くも)の如(ごと)く集(あつま)り那波列翁(なぼれおん)の大纛偈(たいとうか)【左ルビ:[ハ]タシタ】に
現代語訳
ヨーロッパを徐々に侵食して、大部分がその命令に従うようになったが、スペインとの戦いはまだ終わらず、イギリスもまだ完全に戦いに勝利することができずにいた。ロシアもまた今は我が国と和解しているとはいえ、その真意は計り知れない。そうしたところ、1811年(我が国の文化9年、壬申の年)、ロシア・オーストリアが再び軍を起こしてフランスを攻撃した。フランスは大いに軍備を整えてこれを防ごうとした。オーストリアの軍は速やかにドイツの数州を攻め落とした。ただし、プロイセンの諸要塞および「ダンツィヒ」はなおフランスに属していた。この時、ドイツ・ポーランドの地方には諸国の軍勢が雲のように集まり、ナポレオンの大旗の下に
英語訳
[Napoleon] gradually devoured Europe, and although most of it came to obey his commands, the war with Spain was not yet finished, and England had not yet been able to achieve complete victory in battle. Russia, too, although now reconciled with our country, had unfathomable intentions. At this point, in 1811 (the 9th year of Bunka in our country, the year of Mizunoe-saru), Russia and Austria once again raised armies to attack France. France greatly prepared its military forces to defend against this. The Austrian forces quickly conquered several German states. However, the various fortresses of Prussia and "Danzig" still belonged to France. At this time, in the regions of Germany and Poland, the military forces of various nations gathered like clouds under Napoleon's great banner.