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翻刻
卒谷(しつだに)の恵心院の良賀法印の許にて台教を学び薙髪(ちはつ)して本
覚坊良忍と名のらる其頃東塔の西谷無動寺へ千日 詣(まうで)をなし
隠遁(いんとん)の心行(しんぎやう)をいのり廿三歳の秋 素懐(そかい)のごとく大原の奥にかくれ
て のかれてもえこそゆるさね世のうさをいとひ来てすむ大原のおく
と詠ぜらる斯(かく)て此地に来迎院を草創し結界法を修せんとせら
れけるに鬼魅(きみ)共に語つていふやう上人の法力いかでか当るべき我等
いそぎ退散すべしとありけるを上人親しく聞れしとぞ又式内八字
文殊法を修せられしかば庭上の大名変じて獅子(しゝ)となり吼(ほえ)しと
なん又一日鞍馬寺の毘沙門天異人と化し上人に来謁し玉ひて
いはく師何ぞ融通念仏(ゆづうねんぶつ)を唱(とな)へざるやとこゝにおいて上人 遂(つい)に融
通念仏を僧俗男女に勧誘(くわんゆう)せられ上は空也上人を追ひ下は源空
上人に及びて六字称名弘通の功徳来世に盛なるも皆上人の法力
なりと《割書:云々》長承元年二月朔日行年六十一にして入寂(にうじやく)し玉ふ
現代語訳
卒谷の恵心院の良賀法印のもとで天台教学を学び、剃髪して本覚坊良忍と名乗った。その頃、東塔の西谷無動寺へ千日参詣を行い、隠遁の修行を祈った。二十三歳の秋、願いの通り大原の奥に隠れ住んで
「のがれてもえこそゆるさね世のうさをいとひ来てすむ大原のおく」
と詠んだ。こうしてこの地に来迎院を創建し、結界法を修しようとしたところ、鬼や魔物たちが語り合って「上人の法力にはどうして敵うだろうか、我々は急いで退散しよう」と言うのを、上人が直接聞いたという。また式内八字文殊法を修めると、庭の大石が変じて獅子となり吼えたという。またある日、鞍馬寺の毘沙門天が異人の姿となって上人に謁見し、「師はなぜ融通念仏を唱えないのか」と言った。ここにおいて上人はついに融通念仏を僧俗男女に勧めるようになり、上は空也上人に続き、下は源空上人に及んで、六字称名弘通の功徳が来世に盛んなのも、皆上人の法力によるものだという。長承元年(1132年)二月一日、行年六十一歳で入寂された。