Gallicaの日本資料を翻刻!

コレクション: コレクション6

BnF. Département des Manuscrits. Japonais 375 - 翻刻

BnF. Département des Manuscrits. Japonais 375 - ページ 564

ページ: 564

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筏(いかだ)川《割書:佐屋川の下流 五明(ごめう)にて二流となる西を境(さかひ)川といひ東を筏川といふこゝは木曽の|山中より伐出(きりいだ)したる材木(ざいもく)を筏として木曽川を乗下(のりくだ)り佐屋川を越(こ)えてこゝ》  《割書:に至り飛島(とびしま)新田 熱田(あつた)新田に沿(そ)ひて乗廻(のりまは)し府下の堀川に入なり此川南は松山|といひて多くの松樹 緑(みどり)をあらそふ中に春の末(すへ)桃花(とうかの)盛(さか)りには遊人の来賞(らいしやう)大方ならず》  《割書:実に小 武陵(ぶりやう)とも|いふべし》 龍華(りうげ)山 弥勒(みろく)寺《割書:《振り仮名:鳥ヶ地|とりがぢ》新田にあり曹洞宗 桂(かつら)村広済寺末もと海東郡 川辺(かはべ)|村にありて開基の年月詳ならず天正十二年 蟹江兵乱(かにえひやうらん)の時》  《割書:破壊(はえ)せしを其後元禄四年辛未春此地に|うつし卜外(ぼくぐわゐ)和尚を以中興とせり》本尊《割書:弥勒菩薩(みろくぼさつ)木像背銘 ̄ニ云尾州|海東郡芝山郷宗次願主》  《割書:高野山一心院実阿弥明応|九年八月廿九日と見えたり》 宮筠圃《割書:同村の産にして父母と共に京師に遷り東涯蘭嵎の二先生に従遊せし|布衣の学士也名は奇字は子常氏は宮崎通称常之進筠圃は其号也》  《割書:門人私謚して行恭といふ性至孝にして躬行実践をつとめ君子儒の聖学を標|準とせり旁(かたは)ら書及び墨竹に妙を得て其名都鄙に溢(あふ)れ請求(せいきう)日に門に盈る》  《割書:といへども一日慈母の警発に感じ終身又此小伎をなさゞるの類枚挙に遑(いとま)あらず徳輝|の余光は洛東禅林寺に建る所の碑を見てしるべしかゝる無位無官の儒生にして高》  《割書:貴縉紳のために寵遇礼待せらるゝ事みな天の賚へる栄耀にして全く孝感実徳|の招く所ならんか先生の轟名(かうめい)普(あまね)く世の知る所にして諸家人物志近世畸人伝近世》  《割書:樷話等の諸書にも載せたれはすべてこれを略し只禅林寺の碑銘を左記してもて好事の|人に贈る当邑弥勒寺に建る河村乾堂翁の碑銘は其文やゝ簡なるをもて併せ録せず》   《割書:    行 恭 宮 先 生 碑 銘|維 安 永 三 年 甲 午 十 二 月 十 日 筠 圃 宮 先 生 終 焉 越_二》   《割書:五 日_一 葬_二 于 東 山 禅 林 寺 先 塋 側_一 既 而 其 義 子 ■【弸ヵ】 奉_二 行|状_一 来 請_レ 誌_二 銘 于 其 墓_一 余 曽 有_二 師 資 之 親_一 不_レ 忍_二 固 辞_一 因》