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【右丁 上段】
○喜撰法師
哥式を作(つく)る同人と
云云 一 説(せつ)基泉(きせん)同人
と云又 別(べつ)人とも云
鴨長明(かものちやうめい)無名抄(むみやうせう)に云
三室戸(みむろと)の奥(おく)に二十
余(よ)町ばかり山中へ入て
宇治(うぢ)山の喜撰(きせん)が住(すみ)
ける跡(あと)あり家(いへ)はな
けれとも石塔(せきとう)など
のさだかに侍(はべる)なり
是(これ)を見(みる)べしと云云
元亨(けん▢う)釈書(しやくしよ)十八 神(しん)
仙伝(せんてん)に釈窺仙(しやくのきせん)居(いて)_二
宇治山(うぢやま)_一持(ぢし)【二点脱】密咒(みつじゆを)【一点脱】兼(かね)
て求(もとめ)_二長生(ちやうせいを)【一点脱】辟(さけ)【レ点脱】穀(ごくを)服
_レ餅(もちを)一旦 乗(のり)【レ点脱】雲(くもに)去(さり)云云
喜撰(きせん)窺仙(きせん)同人
にや
【同 中段】
此哥の心はきせんほうし都の巽うぢ
山に庵をしめてすめり人はよをう
ち山といへとも我はたのみてかくの
ごとく心よく住といへり都のたつみとは
方角をさして云り古今序にも
始をはりたしかならすといへるよをうぢ
山と人はいへ共と云べきを人はいふなり
といへる所をさしていへり又秋の月を
見るに曙の雲にあへるがことしと書
ことはよもすがらはれたる月の俄に
雲のかゝりたるをは始終たしかならず
といへり
○季注に三間(サンケン)茅屋(ハウヲク)従来(シウライ)住(チウス)一道(イチドウ)
神光(シンクワウ)万境間(ハンキヤウノアイタ)莫(ナカレ)_レ把(イタクコト)_二是非(ゼヒヲ)_一来(キタツテ)弁(ベンス)
我(ワレ)浮生(フセイ)穿鑿(センサク)不(ズ)_二相関(アイアツカラ)_一
【同 下段】
喜撰法師(きせんほつし)
我(わが)いほは
都(みやこ)の
たつみ
しかぞ
すむ
世(よ)をうち
山(やま)と
人(ひと)はいふなり
【左丁 上段】
○小野小町
出羽郡司(ではのぐんじ)小野秀(おのゝひで)
澄(すみの)女(むすめ)常澄(つねずみ)と云云
或説(あるせつ)に出羽郡司(だはのぐんじ)
小野 良実(よしさね)が女(むすめ)又
常澄(つねすみ)女(むすめ)とも云り
三光院殿(さんくわういんでん)御説(おんせつ)に
当澄女(まさすみむすめ)と云云 仁明(にんみやう)
時(とき)承和(しやうわ)の比(ころ)とあり
古今集(こきんしう)目録(もくろく)并に
拾芥抄(じうがいしやう)に曰 出羽郡司(ではのぐんじ)
女(むすめ)仁明(にんめう)時(とき)承和(しやうわ)の
比(ころ)と云云
つれ〳〵草にいわく
小野小町か事はきは
めてさだかならすお
とろへたるていは玉(たま)
作(つくり)といふふみに見え
たり此ふみ清行(きよつら)が
書りと云説あれとも
高野大師(かうやだいし)御位の目(もく)
録(ろく)に入る大師は承(しやう)
和(わ)の初(はじめ)にかくれ
給ふなり
【同 中段】
此哥の心は我身の世にふる老をくわん
じて花によそへて思をいひのべたり小
町か古今にて第一の哥なり彼集の
後に入たる哥なり此うたに表裏の
洸あり表は花の咲たらば花に身を
なさんと思ひしも世にすめばことしげ
くてとやかくやうちまきれて過たる
花也みぬ花なれうつりにけりなと
取ふしていふなり裏の説は身の裏
も我とはしらぬもの也花のおとろへ
を見てわが身もかくうつりてこそあ
らめとおもひやる義なり
○季注にいわく小町はかたちのおと
ろふるをなげきたる哥おほしと
いへり就中此哥多情なり
【同 下段】
小野小町(おのゝこまち)
花(はな)の
色(いろ)は
うつり
に
けりな
いたづら
に
我(わが)みよに
ふる詠(ながめ)せし
まに
現代語訳
【右丁 上段】
○喜撰法師
『歌式』を作った同一人物という説がある。一説では基泉と同一人物ともいい、また別人ともいう。
鴨長明の『無名抄』によれば、三室戸の奥に二十余町ほど山中へ入ったところに、宇治山の喜撰が住んでいた跡がある。家はないけれども、石塔などがはっきりと残っている。これを見るべきであるという。
『元亨釈書』巻十八「神仙伝」に「釈窺仙は宇治山に住み、密呪を持し、兼ねて長生を求め、穀を避けて餅を服す。一旦雲に乗って去った」とある。
喜撰と窺仙は同一人物であろうか。
【同 中段】
この歌の心は、喜撰法師が都の南東、宇治山に庵を結んで住んでいることである。人は世を憂しと言うけれども、私は頼みとしてこのように心よく住んでいると言っている。「都の辰巳」とは方角を指して言ったものである。『古今集』序にも「始め終わりがはっきりしない」と言っているのは、「世を憂し山と人は言うけれども」と言うべきを「人は言うなり」と言っている箇所を指して言ったものである。また秋の月を見るに曙の雲に遭うようなことであると書いているのは、夜通し晴れていた月が急に雲がかかったのは、始終がはっきりしないということを言ったものである。
○季吟注に「三間の茅屋に従来住す。一道の神光万境の間に在り。是非を把ること莫かれ。来たって我が浮生を弁ず。穿鑿相関せず」とある。
【同 下段】
喜撰法師
わが庵は
都の
辰巳
しかぞ
住む
世を憂し
山と
人は言うなり
【左丁 上段】
○小野小町
出羽郡司小野秀澄の娘、常澄という説がある。
ある説には出羽郡司小野良実の娘、また常澄の娘ともいう。
三光院殿の御説には当澄の娘という。仁明天皇の時、承和の頃とある。
『古今集』目録並びに『拾芥抄』に「出羽郡司の娘、仁明天皇の時、承和の頃」とある。
『徒然草』によれば、小野小町のことは極めてはっきりしない。衰えた様子は『玉作小町』という文に見えている。この文は清行が書いたという説があるけれども、弘法大師の御筆の目録に入っている。大師は承和の初めに亡くなられたのである。
【同 中段】
この歌の心は、わが身が世に古りた老いを嘆じて、花によそえて思いを述べたものである。小町が『古今集』で第一の歌である。あの集の後に入った歌である。この歌には表裏の解釈がある。表は、花が咲いたなら花に身をなそうと思ったが、世に住めば事が多くて、あれやこれやと紛れて過ごした花も見ぬ花であった。移ろってしまったなどと解釈して言うのである。裏の説は、身の内も我とは知らないものである。花の衰えを見て、わが身もこのように移ろってしまったのであろうと思いやる意味である。
○季吟注によれば、小町は容貌の衰えを嘆いた歌が多いと言っている。中でもこの歌は情趣深いものである。
【同 下段】
小野小町
花の
色は
移り
に
けりな
いたずら
に
わが身世に
降る長雨し
間に
英語訳
【Right Page - Upper Section】
○Buddhist Monk Kisen
Said to be the same person who wrote the "Kashiki" (Poetic Rules). One theory states he is the same person as Kisen, while another says they are different people.
According to Kamo no Chōmei's "Mumyōshō" (Nameless Notes), about twenty chō into the mountains behind Mimuroto, there are remains of where Kisen of Mount Uji lived. Though there is no house, stone pagodas and such clearly remain. One should see this, it says.
In the "Genkō Shakusho" volume 18, "Shenxian Zhuan" (Biographies of Divine Immortals), it states: "Monk Kisen lived on Mount Uji, practiced secret mantras, sought longevity, avoided grains and consumed rice cakes. One day he rode on clouds and departed."
Are Kisen and Kisen (窺仙) the same person?
【Same Page - Middle Section】
The meaning of this poem is that Monk Kisen built a hermitage in the southeast of the capital, on Mount Uji, and lives there. People say the world is sorrowful, but I rely on this and live so contentedly. "Southeast of the capital" refers to the direction. The Kokin preface also says "beginning and end are unclear," referring to where it should say "though people say the world is a sorrowful mountain" but says "people say." Also, when viewing the autumn moon meeting dawn clouds, it describes how the moon that was clear all night suddenly became clouded—this means the beginning and end are unclear.
○Kigin's commentary states: "I have long dwelt in a three-bay thatched cottage. Divine light exists among myriad realms. Do not grasp right and wrong. Come and understand my floating life. Analytical investigation is irrelevant."
【Same Page - Lower Section】
Buddhist Monk Kisen
My hermitage
in the southeast
of the capital
is where I dwell—
so peacefully
People call the world
a mountain
of sorrow
【Left Page - Upper Section】
○Ono no Komachi
Daughter of Ono no Hidesumi, provincial governor of Dewa, called Tsunezumi.
According to one theory, daughter of Ono no Yoshisane, provincial governor of Dewa, or daughter of Tsunesumi.
According to Lord Sankōin's explanation, daughter of Masasumi. During Emperor Ninmyō's time, around the Jōwa era.
The Kokinshū catalog and Jūgaishō state: "Daughter of the provincial governor of Dewa, during Emperor Ninmyō's time, around the Jōwa era."
According to "Tsurezuregusa," Ono no Komachi's circumstances are extremely unclear. Her declined state appears in a text called "Tamatsukuri Komachi." Though there is a theory that Kiyotsura wrote this text, it is included in the catalog of Kōbō Daishi's works. The master died in the early Jōwa period.
【Same Page - Middle Section】
The meaning of this poem is lamenting one's aging in the world, expressing thoughts by comparing them to flowers. This is Komachi's foremost poem in the Kokinshū. It is a poem included later in that collection. This poem has surface and deeper interpretations. The surface meaning is that when flowers bloomed, I thought to become one with the flowers, but living in the world with many affairs, I was distracted by this and that and let the flowers pass unseen. They have faded. The deeper interpretation is that even one's own body is unknown to oneself. Seeing the flowers' decline, one thinks that one's own body must have similarly faded.
○Kigin's commentary says Komachi has many poems lamenting the decline of her beauty. Among them, this poem is particularly moving.
【Same Page - Lower Section】
Ono no Komachi
The flowers'
colors have
faded
away—
how uselessly
in vain
while I spent my days
in this world
watching
the long rains fall