東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 6

女今川状百人一首女手習状女教小倉色紙 全 - 翻刻

女今川状百人一首女手習状女教小倉色紙 全 - ページ 63

ページ: 63

翻刻

【右丁 上段】 ○殷富門院大輔 後白川院(ごしらかはのいん)の皇女(くわうじよ) 右に委(くは)し 為輔(ためすけ)《割書:高藤公四代孫》 説孝(ときたか)《割書:中納言》 頼明(よりあきら)《割書:左大弁》 憲輔(のりすけ)《割書:三木》 朝憲(とものり)《割書:従五位上》 行憲(ゆきのり) 信成(のぶなり)《割書:従五位上》  《割書:本名説輔》 女子 殷富門院 女子 同院大輔 【同 中段】 此哥の心はをしまは名所也あまの そでさへぬることはぬるれども袖 のいろのかはるといふ事はなしをじ まのあまの袖のぬるゝにわか袖の なみたのかはく事なきにたれとも いろのくれないにかはるはあまの袖 にくらべられぬところのきかきこと は我袖にあり是を人に見せばや といへり ○季注に小島のあまのそでほど ぬるゝともふかきおもひの涙なる をなをいろのなるおもひの     切なるほどを       しらせたき          とぞ 【同 下段】  殷富門院大輔(いんふもんいんのたゆふ) 見せばや   な をじ  まの 海人(あま)の 袖(そで)だに   も ぬれ  にぞ ぬれ  し 色(いろ)は  かわらず 【左丁 上段】 ○後京極摂政  前大政大臣 良経公(よしつねこう)系図(けいづ)法(ほう) 性寺殿(しやうじどの)の下(した)に有(あり) 後法性寺(ごほうしやうし)前関(さきのくわん) 白(はく)兼実公(かねざねこうの)二男(じなん) 母(はゝは)従(しう)三位 藤季(とうのすへ) 行(ゆき)女(むすめ) 引哥  ほとゝきす   なくや    さ月の みしか夜も  ひとり    し   ぬれは  明し    かね     つゝ 【同 中段】 此哥の心は霜夜の比さむしろに ひとりねてきり〳〵すのとこの ほとりになくこゑをきゝ夜もす からさびしくもあはれにもか なしくも思ひつゞけてながきよ をあかしたる心ばへまことにその 人になして見侍らばゆうに哀 なるべしさむしろはたゞむしろなり せばきむしろとかけりひとり かもねんによくいひかなへたる也     あし引の哥の        こゝろを       おもひ侍らん 【同 下段】  後京極摂政(ごきやうごくせつしやう)前太上大臣(さきのだいじやうだいじん) きり〳〵す 鳴(なく)や霜(しも)  よの さむ し  ろに 衣(ころも)かなし     き ひとり   かもねむ

現代語訳

【右丁 上段】 ○殷富門院大輔 後白河院の皇女である。 詳しくは右に記載されている。 為輔(高藤公四代の孫) 説孝(中納言) 頼明(左大弁) 憲輔(三木) 朝憲(従五位上) 行憲 信成(従五位上)  (本名は説輔) 娘 殷富門院 娘 同院大輔 【同 中段】 この歌の心は、小島は名所である。海人の袖さえ濡れることは濡れるけれども、袖の色が変わるということはない。小島の海人の袖が濡れるのに対して、我が袖の涙が乾くことがないのに、誰とも袖の色が紅に変わるのは、海人の袖に比べられない特別なことが我が袖にはある。これを人に見せたいと言っている。 ○季吟の注に「小島の海人の袖ほど濡れるとも深き思いの涙であるのに、なお色が変わるほど思いの切なる程を知らせたい」とある。 【同 下段】  殷富門院大輔 見せばやな 小島の 海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず 【左丁 上段】 ○後京極摂政  前太政大臣 良経公の系図は法性寺殿の下にある。 後法性寺前関白兼実公の次男。 母は従三位藤原季行の娘。 引歌  ほととぎす  鳴くや  五月の 短夜も  ひとりし  寝れば  明しかねつつ 【同 中段】 この歌の心は、霜夜の頃、狭い筵に一人寝て、きりぎりすが床のほとりに鳴く声を聞き、夜通し寂しくも哀れにも悲しくも思い続けて長い夜を明かした心境である。まことにその人になって見れば、優雅で哀れ深いであろう。狭い筵はただの筵である。狭い筵と詠んで一人で寝ることをよく言い表している。     足引きの歌の     心を    思うのである。 【同 下段】  後京極摂政前太政大臣 きりぎりす 鳴くや霜夜の 狭筵に 衣悲しき ひとりかも寝む

英語訳

【Right Page, Upper Section】 ○Infumon'in no Taifu An imperial daughter of Emperor Go-Shirakawa. Details are recorded on the right. Tamesuke (great-great-grandson of Kō Takafuji) Tokitaka (Middle Counselor) Yoriaki (Major Controller of the Left) Norisuke (Sanki) Tomonori (Junior Fifth Rank Upper) Yukinori Nobunari (Junior Fifth Rank Upper)  (original name Tokisuke) Daughter Infumon'in Daughter Same院 Taifu 【Same, Middle Section】 The heart of this poem is that Ojima is a famous place. Even though the fishermen's sleeves get wet, their color does not change. While the fishermen's sleeves of Ojima get wet, my sleeves never dry from tears, yet when anyone's sleeve color changes to crimson, there is something special about my sleeve that cannot be compared to the fishermen's sleeves. The poem expresses the desire to show this to others. ○Kigin's commentary states: "Though the fishermen's sleeves of Ojima may get wet, these are tears of deep feeling, and I want to show how intense my feelings are that even change the color." 【Same, Lower Section】  Infumon'in no Taifu I would show you— even the fishermen's sleeves at Ojima, though they get thoroughly wet, do not change color 【Left Page, Upper Section】 ○Go-Kyōgoku Sesshō  Former Daijō-daijin The genealogy of Lord Yoshitsune is found under Hōshōji-dono. Second son of Go-Hōshōji former Kampaku Lord Kanezane. Mother was the daughter of Junior Third Rank Fujiwara no Sueyuki. Reference poem:  The cuckoo  cries—even  the short nights of May,  sleeping alone,  I struggle  to see the dawn 【Same, Middle Section】 The heart of this poem is about sleeping alone on a narrow mat during frosty nights, listening to crickets chirping near the bed, spending the long night in loneliness, pathos, and sadness until dawn. If one truly puts oneself in that person's place, it would indeed be elegant and deeply moving. A narrow mat is just a plain mat. By saying "narrow mat," it well expresses sleeping alone.     Thinking of the heart     of the Ashihiki     poem. 【Same, Lower Section】  Go-Kyōgoku Sesshō, Former Daijō-daijin Crickets cry on this frosty night— on my narrow mat with sorrowful robes, shall I sleep alone?