翻刻
北徴遺文に所_レ載之豊太閤親簡写
き能ふとなみ山尓てむま越おさめ候けふは
廿五日廿九日の御ふみ一と尓見参らせ候このおもて
うなさ己へこし申参らせ候ゑちせんきたのしやう
能事くらのすけ念々なけき候まゝく尓越
尓は四五日とう?うしてく尓のおきめなと申つけ
めしあけい能ち迄た春けあしよわともまても
候て十四日ころ尓は大坂へかへり候はんまゝこころ
古と〳〵具昨日者也京まて佐しの不せ候かん
や春か?へく候又き阿ひもよく候ふみをはめちと
尓んふん春こしとゝせゝと山能い志ろ迄もこと
とろく候まゝかゝせてこそ参らせ候
〳〵具己らせ候ゑつちうをは又さへもん尓佐か
めてたくかしく
はし候者也飛まをあけ候まゝとやまより
壬八月七日 朱印
こ不 ひて吉
川角太閤記巻三
一伊衛門能国毛利殿陣取の備へ越中より早打能御朱印
参候此文躰尓ておよそ越中の様子能次第聞元可申候か毛利
殿への御朱印尓大形如此かと存候云々其御朱印尓
急度令注進條々
一佐々内蔵助事ふ存上洛に国に引籠尉剰我まゝを振舞
候故により追討之其ため尓去廿七日尓従大坂出馬尓存事
一今月七日辰能一天尓越中くりから峠尓馬を立先勢候