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コレクション: SHOSHO「能登」

前田家封国証書集録 - 翻刻

前田家封国証書集録 - ページ 49

ページ: 49

翻刻

   由に付利長郷も既に出立有_レ之処利政内室石田方に    縮りすと風説有_レ之妻子を捨ては末代迄恥辱と能州    出馬有_レ之間敷と申来る云々依_レ之出馬延引也土方勘兵衛    利長と従弟と云懇志なれは加州へ行て利政をは    誘可_レ有_二出馬_一旨府上意にて加州へ来り其通を述    能州へ三度行て噯ふといへとも不_レ調少出馬延引と也    内府より被遣状に云   急度申候御従小松宰相方書状差越候間為披   見中納言殿江遣之候此節有御入魂先に墓行候様に   尤に候青木紀伊守内々申越候間何様にも中納言可   為相談旨申遣候間其方被致才覚御入魂候而早々   越前衆御手合候事肝要候今日十三日至岐阜着陣候   近日凶徒等可討果候条可心易候恐々謹言     九月十三日   家康       土方勘兵衛殿   右勘兵衛雄久今般之労有_レ之により従内府所領   可被下旨被仰出処利長郷左阿らは吾等預り分新   川郡之内壱万石可有所領とて其趣被仰達新川   之内壱万石利長郷被遣也    按るに家忠日記に云利政出役依て_レ不_レ應_レ命に土方勘兵衛    彼是苦労依_レ之内府公賜_二 一万石_一叙爵為と_二河内守_一    蓋誤聞か乎又慶長十一年利長卿以_レ有を_二放鷹

現代語訳

故により利長卿もすでに出立しようとしたところ、利政の内室が石田方に与しているという風説があり、妻子を捨てては末代まで恥辱となるので能州(能登)へは出馬すべきでないと申してきた。これにより出馬が延引となった。土方勘兵衛は利長と従兄弟という懇意な関係であったので、加州(加賀)へ行って利政を誘って出馬させるべしとの府(徳川家康)の上意により加州へ来て、その旨を述べた。能州へ三度行って説得を試みたが調わず、少々出馬が延引となった。 内府(徳川家康)より遣わされた書状に云う: 急ぎ申し候。御従兄弟小松宰相方より書状が差し越されましたので、ご覧いただくため中納言殿(徳川秀忠)へお送りいたします。この節はご入魂いただき、先に参陣されるのがもっともなことです。青木紀伊守が内々に申し越しましたので、何様にも中納言と相談すべき旨申し遣わしました。そちらで才覚を働かせてご入魂いただき、早々に越前衆とお手合わせいただくことが肝要です。今日十三日に岐阜に着陣いたしました。近日中に凶徒等を討ち果たすことができますので、ご安心ください。恐々謹言 九月十三日 家康 土方勘兵衛殿 右の勘兵衛雄久は今般の労があったことにより、内府より所領を下されるべき旨仰せ出されたところ、利長卿が「左様であらば、我等の預かり分、新川郡の内一万石を所領とすべし」と仰せになり、その旨が仰せ達され、新川の内一万石を利長卿より遣わされた。 考えるに、家忠日記に云うには、利政が出役に応じなかったことにより、土方勘兵衛があれこれ苦労したため、内府公が一万石を賜い、河内守に叙爵したとある。おそらく誤聞であろうか。また慶長十一年、利長卿は放鷹のため