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コレクション: 弘法大師関連資料

弘法大師御本地 3巻. [1] - 翻刻

弘法大師御本地 3巻. [1] - ページ 10

ページ: 10

翻刻

【挿し絵】 おなじき年の冬。十二月はすなはち唐(たう)の徳宗(とくそう)皇(くわう) 帝(てい)。貞元(ていがん)二十年にあたれり。空海(くうかい)すでに此とし の冬。もろこしの長安城(ちやうあんじやう)につき給ふ。みかど勅定(ちよくちやう)の むねありて。宣陽坊(せんやうばう)といふ御殿(こてん)にとゞめて。様々(さま〳〵) もてなし給ひけり。あくるとしの春にも。成けれは 青龍寺(しやうりうし)の東塔院(とうだうゐん)の内供奉(ないぐぶ)。恵果(けいくわ)阿闍梨(あしやり)に。たい めんし給ふ。そも〳〵恵果(けいくわ)と申すは。大日如来より 七代の孫弟(そんてい)として。不空(ふくう)大 広智(くわうち)三 蔵(さう)の御 弟子(でし) なり。智慧(ちゑ)行徳(ぎやうとく)たかくそなはりて。ならびなき聖(しやう) 者(しや)也。恵果(けいくわ)あじや梨(り)は。空海を御らんじて。われなん

現代語訳

【挿絵】 同じ年の冬、十二月は唐の徳宗皇帝の貞元二十年に当たった。空海はすでにこの年の冬、唐の長安城に到着された。皇帝の勅定により、宣陽坊という御殿に留め置かれ、様々にもてなしを受けられた。翌年の春になると、青龍寺の東塔院の内供奉である恵果阿闍梨に対面された。そもそも恵果と申すのは、大日如来より七代目の孫弟子として、不空大広智三蔵の御弟子である。智慧と行徳が高く備わって、並びなき聖者である。恵果阿闍梨は空海を御覧になって、「私は何と...

英語訳

[Illustration] In the winter of the same year, the twelfth month corresponded to the twentieth year of Zhenyuan under Emperor Dezong of Tang. Kūkai had already arrived at Chang'an, the capital city of Tang, in the winter of this year. By imperial decree, he was lodged at a palace called Senyang-fang and received various courtesies. When spring of the following year came, he had an audience with Ajari Keika, who was the Inner Court Chaplain (naigubu) of the Eastern Pagoda Hall of Qinglong Temple. This Keika was the seventh-generation disciple descended from Mahāvairocana Buddha, and a disciple of the great Amoghavajra Mahāpaṇḍita. He was endowed with high wisdom and virtuous conduct, an incomparable sage. When Ajari Keika saw Kūkai, he said, "I have been...