日本の仏典を翻刻

コレクション: 大日本仏教全書第3巻

一 歩船鈔二巻 - 翻刻

一 歩船鈔二巻 - ページ 3

ページ: 3

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【四頁上段】 大乘經。道ヲミルコト別ナシ《割書:■【国構えに考】諸大等一本作諸|大乘敎見道無別》トモイ ヒ。大小乘經。道ヲミルコト。別ナシ《割書:■【国構えに考】大小等一本|作大小乘經》トモ イヒテ。諸經ミナ證道ヲアラハスコトハ。一ナリト解 了シ。タツトフコトハサトリヲウルニアリ。義ニサタ マリナシ《割書:■【国構えに考】タツトブ等一本作|貴在得悟義無定也》トイヒテ。カレヲ權トシ。 コレヲ實トスルコトナシ。タヽ一代ノ所說ヲ。一理ナ リトコヽロウルナリ。サレハ龍樹ノ論判。嘉祥ノ釋 ヲヨク學シテ。八不ノ正觀ヲコラシ。生死ノミナモト ヲ斷シテ。スミヤカニ成佛スヘシ。シカレトモ。ワレラ 無始曠劫ヨリコノカタ。流來生死ノアヒタ。ヒサシク 煩悩ノタメニ纒縛セラレテ。不生不滅ノ觀解ヲ成 シカタク。不來不法ノ正見ニ住シカタシ。シタカヒテ コノ宗ノ高祖龍樹菩薩ハ。十二禮ヲツリクリテ。故我頂 禮彌陀尊ト讚シ。十住毘婆沙論ヲノへテ。易行ノ要路 ヲヲシヘタマヘリ。コノユへニ。淨土ノ大祖トセリ。嘉 祥大師マタ觀經ノ疏ヲツクリテ。安樂ノ往生ヲスヽ メタマヘリ。イハム《割書:■【国構えに考】 イハム|一本作況》ヤ末代ノ劣機ヲヤ。イハム 【四頁下段】 《割書:■【国構えに考】 イハム|一本作况》ヤ邊國ノ下根ヲヤ。觀難成就ノ亂想ヲモテ。 八不甚深ノ義趣ヲウカヽハムヨリハ。念佛易行ノ道 ニ歸シテ。一念往生ノ安心ヲ。モハラニスヘキモノナ リ。 一。華嚴宗ノコヽロハ。五敎ヲタテヽ一切ノ佛敎ヲ攝 ス。五敎トイフハ。一ニハ小乘敎。阿含《割書:■【国構えに考】含下一|本有經》等ノモ ロ〳〵ノ小乘經ノコヽロナリ。二ニハ始敎。深密等ノ 諸大乘經。ナラヒニ瑜伽唯識等ノ。諸大乘論ノコヽ ロナリ。三ニハ終敎。𣵀槃經等ノコヽロナリ。四ニハ 頓敎。コレハ別ノ部ナシ。タヽ諸大乘經ノナカノ。卽心 是佛ノ頓說コレナリ。五ニハ圓敎。華厳法華ノコヽロ ナリ。コノ五敎ノナカニ。頓敎圓敎ヲモテ一乘究竟ノ 敎《割書:■【国構えに考】敎一本|作ヲシヘ》トス。ソノ敎《割書:■【国構えに考】敎一本|作ヲシヘ》ノコヽロハ三界唯心染 淨同體ヲモテ本《割書:■【国構えに考】本一本|作モト》トス。コレスナハチカノ經ノ 文ニ。アルヒハ。一切ノ法ハスナハチ心ノ自性ナリト シル。慧ヲ具足スル身ハ。他ヨリサトラス《割書:■【国構えに考】アルヒハ一|切等一本作或》 《割書:知一切法卽心自性|具足慧身不由他悟》 トトキ。アルヒハ。モシ人三世ノ一切ノ 【五頁上段】 佛ヲ了知セムトオモハヽ。マサニカクノコトク。觀 スヘシ。心モロ〳〵ノ如來ヲ。ツクル《割書:■【国構えに考】アルヒハモシ人等|一本作或若人欲了知 》 《割書:三世一切佛應當如|是觀心造諸如來》トイヒ。アルヒハ。三界ハタヽ一心ナリ。 心ノホカニ別ノ法ナシ。佛トヲヨヒ衆生ト。コノミツ 差別ナシ《割書:■【国構えに考】アルヒハ三界等一本作或三界唯一|心心外無別法心佛及衆生是三無差別》 トトケル。ソ《割書:■【国構えに考】|ソ》 《割書:一本|作コ》ノコヽロナリ。コレミナ。佛界衆生界ソノ體性同 體ニシテ。タヽ一心ノ所作ナルコトヲ。アカセル文ナ リ。コノ一心ヲタツヌルニ。ソノ體無性ニシテ。シカ モ染淨ノ體トナル。イハユル《割書:■【国構えに考】イハユル|一本作所謂》 緣生ノ諸法ハ。 衆緣ノ他ニヨリテ生スレハ。ソノ體無性ナリ。眞智又 了緣ニヨリテ顕現スルカユヘニ。ソノ體無性ナリ。ト モニ緣ヨリ生スルニヨリテ。緣性同體ニシテ。無性ヲ 體トス。法華經ニ。諸佛兩足尊。法ハツネニ無性ナリ トシル。佛種ハ緣ヨリオコル。コノユヘニ。一乘トト ク《割書:■【国構えに考】法ハ等一本作知法常無|性佛種從緣起是故說一乘》トイヘル。ソノコヽロナリ。コ ノユヘニ。コノ心ミツカラ無性《割書:■【国構えに考】コノ心等一本|作此心無自性》トシラサ ルヲハ。無明トイヒ。マタハ。マトヒ《割書:■【国構えに考】マトヒ|一本作迷》トナツク。衆。 【五頁下段】 生ハ。コノマトヒニヨリ《割書:■【国構えに考】リ一|本無》テ業ヲリクリ。業ニヨリ 《割書:■【国構えに考】リ一|本無》テ報ヲウクル《割書:■【国構えに考】ル一本|作カルカ》ユヘニ。ヒサシク生死ニ 流轉ス。シカルニ。ハシメテ了緣ニアフ《割書:■【国構えに考】フ一|本作ヒ》 テ。コ ノ心ミツカラ無性ナリ《割書:■【国構えに考】コノ心等一本|作此心自無性 》トシルヲ眞智 トイヒ。マタハサトリ《割書:■【国構えに考】サトリ|一本作悟》トナツク。コノサトリニ 依止シテ。ツクルトコロノ業ヲ。菩薩ノ行トナツク。コ ノ行ツヰニ功ヲツミテ。無始ノ妄習タチマチニツキ ヌレハ。本覺圓明ノ體ニカナフヲ。妙覺果滿ノクラヰ トナツクルナリ。大乘究竟ノ妙談。マコトニネカフへ シトイヘトモ。カノ無性ノサトリヲエテ。無始熏習ノ マト《割書:■【国構えに考】ト一|本作ヨ》ヒヲ。ヒルカヘサムコト。オホロケノ淺機 ハ。カナヒカタシ。在家下根ノトモカラ。オモヒヨラ ヌ事ナリ。サレハ。彌陀ノ淨土ニ生シテ。カノ妙解ヲ 發センコトハ。モトモタクミ。《割書:■【国構えに考】タクミ|一本作巧》ナルヘシ。無性ノ サトリヲヒラキナハ。イツレノ法門カ達セサラム《割書:■【国構えに考】ム|一本》 《割書:作|ン》シタカヒ《割書:■【国構えに考】ヒ一|本無》テ。華厳經ニモ。普賢ノ願行ヲトキテ。 極樂ノ往生ヲスヽメタリ。願我臨欲命終時。盡除一切

現代語訳

【四頁上段】 大乗経は、道を見ることに別はない」とも言い、「大小乗経は、道を見ることに別はない」とも言って、諸経はみな証道を表すことは一つであると理解し、「尊ぶことは悟りを得ることにあり、義に定まりはない」と言って、あれを権とし、これを実とすることはない。ただ一代の所説を、一理であると理解するのである。だから龍樹の論判、嘉祥の釈をよく学んで、八不の正観を凝らし、生死の根源を断って、速やかに成仏すべきである。しかしながら、我々は無始の遠い昔からこのかた、流転生死の間、久しく煩悩のために縛られて、不生不滅の観解を成し難く、不来不去の正見に住し難い。したがってこの宗の高祖龍樹菩薩は、十二礼を作って「故我頂礼弥陀尊」と讃え、『十住毘婆沙論』を述べて、易行の要路を教えられた。このゆえに、浄土の大祖とされている。嘉祥大師もまた『観経疏』を作って、安楽の往生を勧められた。いわんや末代の劣機をや、いわんや 【四頁下段】 辺国の下根をや。観想が成就し難い乱想をもって、八不甚深の義趣を窺うよりは、念仏易行の道に帰して、一念往生の安心を、もっぱらにすべきものである。 一、華厳宗の心は、五教を立てて一切の仏教を摂する。五教というのは、一には小乗教、阿含経等の諸々の小乗経の心である。二には始教、『深密経』等の諸大乗経、ならびに『瑜伽論』『唯識論』等の諸大乗論の心である。三には終教、『涅槃経』等の心である。四には頓教、これは別の部はない。ただ諸大乗経の中の、即心是仏の頓説これである。五には円教、『華厳経』『法華経』の心である。この五教の中に、頓教・円教をもって一乗究竟の教とする。その教の心は「三界唯心・染浄同体」をもって本とする。これすなわちかの経の文に、あるいは「一切の法はすなわち心の自性なり。慧を具足する身は、他より悟らず」と説き、あるいは「もし人、三世の一切の 【五頁上段】 仏を了知せんと思わば、まさにかくのごとく観ずべし。心、諸々の如来を造る」と言い、あるいは「三界はただ一心なり。心の外に別の法なし。仏と及び衆生と、この三つに差別なし」と説ける、その心である。これはみな、仏界・衆生界その体性が同体にして、ただ一心の所作なることを明かせる文である。この一心を尋ぬるに、その体は無性にして、しかも染浄の体となる。いわゆる縁生の諸法は、衆縁の他によって生ずれば、その体は無性である。真智もまた了縁によって顕現するがゆえに、その体は無性である。ともに縁より生ずることによって、縁性同体にして、無性を体とする。『法華経』に「諸仏両足尊、法は常に無性なり。仏種は縁より起こる。このゆえに一乗と説く」と言える、その心である。このゆえに、この心みずから無性であると知らないのを無明と言い、または迷いと名づく。衆 【五頁下段】 生は、この迷いによって業を作り、業によって報を受けるゆえに、久しく生死に流転する。しかるに、はじめて了縁に会って、この心みずから無性であると知るのを真智と言い、または悟りと名づく。この悟りに依止して、作るところの業を、菩薩の行と名づく。この行ついに功を積んで、無始の妄習がたちまちに尽きぬれば、本覚円明の体に適うのを、妙覚果満の位と名づけるのである。大乗究竟の妙談、まことに願うべしと言えども、かの無性の悟りを得て、無始薫習の迷いを、翻すこと、おおよそ浅機には、適い難い。在家下根の輩、思い及ばぬ事である。だから、弥陀の浄土に生まれて、かの妙解を発すことは、もとより巧妙であろう。無性の悟りを開くならば、いずれの法門か達せざらん。したがって、『華厳経』にも、普賢の願行を説いて、極楽の往生を勧めている。「願わくば我、命終に臨まんと欲する時、一切を尽く除き