翻刻
【右丁 絵図】
世田谷(せたかや)
八幡社(はちまんのやしろ)
疱瘡神
本社
拝殿
天王
八まん
山王 弁天
神主
【左丁】
照心堂(せうしんたう)《割書:客殿(きやくてん)の左(ひたり)林叢(りんさう)の中(うち)にあり|當寺(たうし)十 勝(しよう)の一員(いちゐん)なり》 吉良氏(きらうち)古塋(こえい)《割書:照心堂(せうしんたう)の前(まへ)卵塔(らんたふ)の中(うち)大(おほい)なる|松樹(しようしゆ)の下(もと)にあり古(ふる)き五輪(こりん)の》
《割書:石塔(せきたふ)並(なら)ひ立(たて)り一は世田谷(せたかや)御所(こしよ)吉良(きら)右京大夫(うきやうのたいふ)政忠(まさたゝ)朝臣(あそん)の墓(はか)なり當寺(たうし)過去帳(くわこちやう)に前(さき)の |開基(かいき)洞春院殿(とうしゆんゐんてん)照岳(せうかく)道旭(たうきよく)居士(こし)文亀(ふんき)二年壬戌六月十七日 卒(そつす)とあり又一は政忠(まさたゝ)の伯母(をは)》
《割書:弘德院(こうとくゐん)久栄(きうえい)理椿(りしゆん)大姉(たいし)の墓(はか)なり弘德院(こうとくゐん)は當寺(たうし)過去帳(くわこちやう)に文明(ふんめい)十二年庚子十二月|二日 逝(せいす)とあり》
古石燈篭(こいしたうらう)一基(いつき) 《割書:同し墓(はか)の前(まへ)にあり政忠(まさたゝ)庭中(ていちゆう)のもの|なりと云 世(よ)に云 地蔵形(ちさうかた)これなり》
當寺(たうし)開基碑(かいきのひ) 《割書:佛殿(ふつてん)の西(にし)に立(たつ)る寛政(くわんせい)十一年の冬(ふゆ)當寺(たうし)十五世 霊潭(れいたん)和尚(おしやう)の撰(せん)|文(ふん)にして往古(そのかみ)吉良家(きらけ)に因(ちなみ)ある者(もの)力(ちから)を戮(あは)せて霊潭(れいたん)和尚(おしやう)の志(こゝろさし)を》
《割書:補助(ほしよ)しこれを|立(たつ)るといふ》
碧雲関(へきうんくわん) 《割書:總門(さうもん)の名(な)なりこれも當寺(たうし)十 勝(しよう)の一なり其余(そのよ)黄鳥哺(くわうていほ)は同し門(もん)の|左(ひたり)の叢林(さうりん)の中(うち)にある所の梅樹(はいしゆ)を云 松拍壇(しようはくたん)も又同し方の樹林(しゆりん)を名(なつ)く》
《割書:風樹林(ふうしうりん)も同し奥(おく)にありて|晩秋(はんしう)の紅錦(こうきん)賞(しやう)すへし》
清涼橋(せいりやうきやう) 《割書:總門(さうもん)の前(まへ)の小川(をかは)に架(か)する橋(はし)の|名(な)にしてこれも十 勝(しよう)の一なり》
當寺(たうし)は文明(ふんめい)年間(ねんかん)《割書:或(あるひは)十二年庚子|開創(かいさう)とす》世田谷(せたかや)御所(こしよ)吉良(きら)右京大夫(うきやうのたいふ)政忠(まさたゝ)
《割書:其先(そのせん)吉良(きら)治部大輔(ちふのたいふ)治家(はるいへ)上野國(かうつけのくに)飽間(あかま)の地(ち)にありしに基氏(もとうち)より|此(この)世田谷郷(せたかやかう)を賜(たま)はり初(はしめ)てこゝに移住(いちやう)す夫(それ)より後(のち)世田谷殿(せたかやとの)と称(しよう)せり》伯母(をは)弘德院殿(こうとくゐんてん)
久栄(きうえい)理椿(りしゆん)大姉(たいし)の為(ため)に創建(さうこん)する所の精舎(しやうしや)なり《割書:過去帳(かこちやう)に文明(ふんめい)十二年|庚子十二月二日とみゆ》
直(たゝち)に其(その)法号(ほふかう)を採(とり)て弘德庵(こうとくあん)と号(なつ)け昌誉(しやうよ)禪師(せんし)を請(しやう)して開山(かいさん)