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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 48

ページ: 48

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【右丁】  祖(そ)とす《割書:其始(そのはしめ)は済家(さいけ)|の禪刹(せんせつ)たり》天正(てんしやう)年間(ねんかん)に至(いた)り宗関(しうくわん)禪師(せんし)来(きたり)て薫席(くんせき)し洞(とう)  門(もん)にあらたむ万治(まんち)年間(ねんかん)江州(こうしう)彦根(ひこね)城主(しやうしゆ)正四位上(しやうしゐしやう)左中将(さちやうしやう)井伊(ゐい)  直孝侯(なほたかこう)此(この)世田谷(せたかや)の地(ち)を賜(たま)ふ《割書:或(あるひは)寛永(くわんえい)十年|癸酉に給ふとも》万治(まんち)二年己亥六月  廿八日 逝(せい)す《割書:法号(ほふかう)久昌院殿(きうしやうゐんてん)豪德(こうとく)|天英(てんえい)大居士(たいこし)と号(かうす)》遺言(ゆゐこん)により令嗣(れいし)直澄(なほすみ)其(その)遺骸(ゆゐかい)を  當寺(たうし)に葬(そう)す故(ゆゑ)に弘德(こうとく)を豪德(こうとく)に更(あらた)む《割書:弘(こう)豪(こう)同音(とうおん)|なるによれり》爾後(しかりしのち)直孝侯(なほたかこう)の  賢娘(けんちやう)掃雲院殿(さううんゐんてん)無染(むせん)了心(れうしん)禪尼(せんに)先考(せんかう)の冥福(みやうふく)を吊(とむら)はむかため  許多(きよた)の浄資(しやうし)を喜捨(きしや)して堂宇(たうう)を経営(けいえい)し三世佛(さんせふつ)の木像(もくさう)を安(あん)  置(ち)して良田(りやうてん)数十項(すしつきやう)を寄(よせ)らるゝとなり 吉良氏(きらうち)古城跡(こしやうのあと) 豪德寺(こうとくし)構(かまへ)の内(うち)右(みき)の方(かた)に續(つゝき)たる地(ち)を云《割書:今(いま)は井伊家(ゐいけ)|の林(はやし)となれり》  堤(つゝみ)の形(かたち)二重(にちやう)に残(のこ)り空堀(からほり)の跡(あと)と見ゆる所(ところ)もあり其(その)封内(はうたい)一町四方  にして櫓(やくら)を構(かま)へたりしと覚(おほ)しき跡(あと)三ケ所(しよ)迄(まて)存(そん)せり又 居舘(きよくわん)の跡(あと)と  称(しよう)するもの築地(ついち)或(あるひ)は林泉(りんせん)の形(かたち)残(のこ)りて水(みつ)を湛(たゝ)へたる地(ち)なとあり  冨士見松(ふしみまつ)とよへる老樹(らうしゆ)あり其地(そのち)より斜(なゝめ)に芙蓉(ふよう)の峯(みね)を眺望(てうまう)せり 【左丁】  旧(むかし)は同し所に御所櫻(ごしよさくら)と称(しよう)せしものありしか後世(こうせい)枯(かれ)たりと云て今(いま)は  此(この)樹なし《割書:世田谷(せたかや)の吉良家(きらけ)は清和(せいわ)天皇(てんわう)十世の苗胤(ひやういん)足利(あしかゝ)左馬頭(さまのかみ)義氏(よしうち)に二子|あり嫡男(ちやくなん)を義継(よしつく)と名(なつ)け次男(しなん)を長氏(なかうち)と名(なつ)く長氏(なかうち)三州(さんしう)に居(を)るこれを》  《割書:三州の吉良(きら)と称(しよう)す義継(よしつく)は奥州(あうしう)に居(を)る故(ゆゑ)に奥州(あうしう)の吉良(きら)と称(しよう)す是則(これすなはち)吉良姓(きらせい)の祖(そ)なり|義継(よしつく)六傳を吉良(きら)治部大輔(ちふのたいふ)治家(はるいへ)と号(なつ)く治家(はるいへ)始(はしめ)武州(ふしう)世田谷城(せたかやしやう)に住(ちやう)す時(とき)の人 世(せ)》  《割書:田谷(たかや)御所(こしよ)と称(しよう)す又六傳を吉良(きら)政忠(まさたゝ)と称(しよう)す法号(ほふかう)を洞春院(とうしゆんゐん)といふ其後(そのゝち)頼久(よりひさ)の世(よ)に|至(いた)り吉良家(きらけ)は三州(さんしう)東城西城の外 称号(しやうかう)すべからず宜(よろし)く蒔田(まいた)に改(あらた)むへき旨(むね)》  《割書:台命(たいめい)あるにより蒔田(まいた)と号(かう)す則(すなはち)久良郡(くらきこほり)の蒔田村(まいたむら)に住(ちやう)する故(ゆゑ)に在名(さいめい)をもちゆると云|小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)關東(くわんとう)を領(りやう)せられし頃(ころ)は其(その)縁(えん)あるを以(もつて)許多(そこはく)の地(ち)を領(りやう)せしよし云傳(いひつた)ふ》  《割書:れとも其(その)貫髙(くわんたか)しるへからす今(いま)世田谷領(せたかやりやう)と称(しよう)せし村数(むらかす)五十七 箇村(かむら)あり其頃(そのころ)一圓(いちえん)所(しよ)|領(りやう)たりし歟(か)》 宮坂(みやさか)八幡宮(はちまんくう) 同し寺(てら)より西(にし)の方(かた)の岡續(をかつゝき)にありて其間(そのあひた)三町 計(はかり)を隔(へた)つ  鎌倉(かまくら)鶴岡(つるかをか)八幡宮(はちまんくう)の模(うつし)にて勧請(くわんしやう)の年歴(ねんれき)詳(つまひらか)ならす天文(てんふん)十五  年 吉良(きら)頼貞(よりさた)當社(たうしや)を建立(こんりふ)すと云《割書:或(あるひ)は義家(よしいへ)朝臣(あそん)勧請(くわんしやう)せられし御神(おんかみ)|にして吉良家(きらけ)再興(さいこう)とも云傳(いひつた)ふれとも》  《割書:義家(よしいへ)勧請(くわんしやう)と云事(いふこと)|疑(うたかひ)少(すくな)からす》祭礼(さいれい)は八月十五日にして社司(しやし)大塲氏(おほはうち)の奉仕(ほうし)たり  社内(しやない)に存(そん)する所の櫻(さくら)は頼貞(よりさた)親(みつから)植(うゑ)る所と云傳(いひつた)ふ   《割書:按(あんする)にこゝに頼定(よりさた)と云は頼康(よりやす)の事(こと)なるへし當社(たうしや)建立(こんりふ)の棟札(むなふた)に注(ちやう)する所(ところ)の頼貞(よりさた)の花(くわ)|押(おう)と等々力村(とゝろきむら)大平(おほひら)某(それかし)所蔵(しよさう)の頼康(よりやす)の古文書(こもんしよ)に印(いん)する所(ところ)の花押(くわおう)尤(もつとも)同(おな)し然時(しかるとき)は》   《割書:頼貞(よりさた)は頼康(よりやす)の始(はしめ)の名(な)にて|ありしならんとおほし》