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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 49

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【右丁】  當社(たうしや)梁牌(りやうはい)一 枚(まい)《割書:當社(たうしや)に藏(さう)す其(その)|文(ふん)左(さ)のことし》  【棟札の図】    天文十五《割書:丙|午》八月廿日《割書:釿|立》同十二月十六日上棟同廿日《割書:癸|卯》御遷供養導師鶴岡承院法印大和尚位快元                同等覚院権律師□□                        同松原藤六貞                                                        大工青木右馬助安重  當社八幡宮新建立大檀那源朝臣頼貞【花押】鍛冶奉行鈴木藤十郎有宗 熊澤入道々珍    于時惣奉行江戸摂津守法名浄仙大工奉行石渡戸新兵衛常久惣大工《割書:番工山井大蔵丞|番工由木内匠助》鶴岡承仕《割書:法橋丸圓|法橋丸善》                西村左近將監吉重 延命山(えむめいさん)勝光禪院(しようくわうせんゐん) 豪德寺(こうとくし)の前(まへ)の道(みち)を隔(へた)てゝ向(むかふ)にあり洞家(とうけ)の禪(せん)  刹(さつ)にして八王子安下の心源院(しんけんゐん)に属(そく)せり本尊(ほんそん)は虚空蔵(こくうそう)菩薩(ほさつ)にして  座像(ささう)二尺 計(はかり)あり《割書:作者(さくしや)知(しる)|へからす》建武(けんむ)二年乙亥 世田谷(せたかや)御所(こしよ)吉良(きら)兵部大輔(ひやうふのたいふ)  源(みなもとの)頼氏(よりうち)開創(かいさう)の精舎(しやうしや)にして往古(そのかみ)は済家(さいけ)の禪宗(せんしう)にて龍鳳寺(りうほうし)と号(かうす)  《割書:豪德寺(こうとくし)所蔵(しよさう)吉良(きら)系図(けいつ)に左京太夫(さきやうたいふ)とあり又 當寺(たうし)に相傳(あひつた)ふ頼氏(よりうち)法号(はふかう)は興善寺殿(こうせんしてん)|月山(くわつさん)清公(せいこう)と号(かうす)故(ゆゑ)に始(はしめ)當寺(たうし)を興善山(こうせんさん)と号(なつ)くると云ひ世田谷(せたかや)私記(しき)といふものには興善寺(こうせんし)》  《割書:を治氏(はるうち)の法号(はふかう)とす又(また)豪德寺(こうとくし)吉良(きら)系図(けいつ)の中(うち)に政忠(まさたゝ)の二男(しなん)文貞と|いふ人の名(な)の下に禪興寺(せんかうし)ともありて諸説(しよせつ)紛々(ふん〳〵)其實(そのしつ)を得(え)かたし》鎌倉(かまくら)建長寺(けんちやうし)の  吟峯龍公(きんほうりうこう)禪師(せんし)開山(かいさん)たり《割書:文和(ふんわ)三年甲午|五月七日 示寂(ししやく)す》其後(そのゝち)天文(てんふん)十五年丙午 世田(せたか)  谷(や)吉良家(きらけ)六世の孫(そん)左兵衛佐(さひやうのすけ)源(みなもとの)頼康(よりやす)《割書:豪德寺(こうとくし)吉良(きら)系図(けいつ)に正三位(しやうさんゐ)或(あるひ)は云|左兵衛督(さひやうのかみ)とす法号(はふかう)は勝光院殿(しやうくわうゐんてん)》 【左丁】  《割書:脱山浄森(たつさんしやうしん)|居士(こし)とあり》中興(ちやうこう)開基(かいき)たり然(しかる)に天正(てんしやう)元年癸酉同 吉良家(きらけ)七 嗣(し)の孫(そん)  左兵衛佐(さひやうのすけ)従(しゆ)四位下(しゐけ)源(みなもとの)氏朝(うちとも)《割書:豪德寺(こうとくし)所蔵(しよさう)吉良(きら)系図(けいつ)に左兵衛督(さひやうのかみ)とし法号(はふかう)を|實相院殿(しつさうゐんてん)と号(かう)し弦巻(つるまき)の實相院(しつさうゐん)を建(たつ)るとあり》  當寺(たうし)の号(かう)を勝光院(しやうくわうゐん)とあらたむ又 天永琳達(てんえいりんたつ)和尚(おしやう)《割書:琳達(りんたつ)和尚(おしやう)は小机村(こつくゑむら)梅林(はいりん)|寺(し)の住持(ちやうち)なりしを氏朝(うちとも)》  《割書:請(しやう)して當寺(たうし)に|居(お)らしむ》今(いま)の如(こと)く曹洞派(さうとうは)の寺院(しゐん)とす《割書:當寺(たうし)過去帳(くわこちやう)に延命院殿(えんめいゐんてん)商山(しやうさん)榮久(えいきう)|大居士(たいこし)と云 法名(はふみやう)を載(のせ)たり疑(うたか)ふらくは》  《割書:當寺(たうし)の山号(さんかう)此号(このかうより)出(いて)たるならん歟(か)此(この)延命院(えむめいゐん)没卒(ほつそつ)の年号(ねんかう)忌日(きにち)をしるさす又 何人(なにひと) |なる事をしらす按(あんする)に世田谷(せたかや)私記(しき)といへるものに延命院(えんめいゐん)は吉良(きら)経家(つねいへ)ならんとあり》  《割書:経家(つねいへ)は奥州(あうしう)の吉良家(きらけ)にて|又太郎と号(かう)せし人なり》  愛縁(あいえむ)薬師(やくし)如来(によらい)丈(たけ)二尺斗 木像(もくさう)運慶(うんけい)の作(さく)なりと云 相傳(あひつた)ふ往古(そのかみ)  北条(ほうてう)氏康卿(うちやすきやう)の息女(そくちよ)崎君(さききみ)常(つね)に此(この)靈像(れいさう)を崇信(そうしん)し天文(てんふん)六年の春(はる)  此(この)尊像(そんさう)の靈示(れいし)により《割書:蒔田(まいた)の地(ち)にて三千石けはひ|めんとして添(そへ)らるゝといふ》終(つひ)に永禄(えいろく)元年 世田(せたか)  谷(や)御所(こしよ)頼康卿(よりやすきやう)の室(しつ)となられし事 縁起(えむき)に見えたりといへとも中興(ちやうこう)の  ものにして尤(もつとも)拙文(せつふん)ことに疑(うたか)ふへき事 少(すくな)からす故(ゆゑ)に其文(そのふん)を畧(りやく)  してこゝに記(しる)さす   《割書:按(あんする)に崎君(さききみ)は氏綱(うちつな)の女(むすめ)にして氏康(うちやす)にあらす|》