翻刻
【右丁】
廣戸(ひろと)備後(ひんこ)又三郎(またさふらう)正之碑(まさゆきのひ) 《割書:當寺(たうし)佛殿(ふつてん)の右(みき)にあり正之(まさゆき)は駿州(すんしう)の産(さん)にして|二階堂(にかいたう)山城(やましろ)三郎 行村(ゆきむら)十三世 孫(そん)其先(そのせん)は京都(きやうと)》
《割書:柳営(りうえい)社稷(しやしよく)の臣(しん)なり高祖(かうそ)五郎 久行(ひさゆき)江州(こうしう)廣戸郷(ひろとのかう)を管領(くわんりやう)するに因(ちなみ)氏(うち)とす永禄(えいろく)十二|年己巳 召(めし)に應(おう)して 御當家(こたうけ)に仕(つかへ)奉(たてまつ)り後(のち)仕(つかへ)を致(いた)して世田谷(せたかや)の地(ち)に退去(たいきよ)し慶長(けいちやう)十》
《割書:七年壬子十一月十二日行年八十八歳にして終(をは)る依(よつ)て當寺(たうし)に葬(そう)するよし延宝(えんはう)八年の|冬(ふゆ)孝孫(こうそん)行隆(ゆきたか)正武(まさたけ)正次(まさつく)等(ら)これを立(たつ)るよし銘(めい)せり》
吉良氏(きらうちの)古塋(こえい) 《割書:堂前(たうせん)左(ひたり)の方(かた)にあり頼康(よりやす)の古墳(こふん)も當寺(たうし)にありといへとも定(さたか)なら|す蒔田(まいた)の勝國寺(しようこくし)にあるもの信(まこと)なりともいふ興善寺(こうせんし)の墓塔(ほたう)も並(なら)ひてあり》
鶴松山(くわくしようさん)實相院(しつさうゐん) 登戸(のほりとの)通道(とほりみち)世田谷(せたかや)元宿(もとしゆく)の左(ひたり)の裏通(うらとほり)弦巻村(つるまきむら)にあり
曹洞派(さうとうは)の禪林(せんりん)にして同所 勝光院(しようくわうゐん)に属(そく)す當寺(たうし)は世田谷(せたかや)の吉良(きら)
家(け)七世 孫(そん)左兵衛佐(さひやうゑのすけ)氏朝(うちとも)閑居(かんきよ)の旧跡(きうせき)にして其(その)閑居(かんきよ)の号(かう)を学(かく)
翁齋(をうさい)と称(しよう)せしと云 学翁齋(かくをうさい)卒去(そつきよ)の後(のち)《割書:学翁齋(かくをうさい)は慶長(けいちやう)八年癸卯|九月六日 卒(そつす)とあり》其(その)息(そく)
頼久(よりひさ)當寺(たうし)を開創(かいさう)ありて法号(はふかう)實相院殿(しつさうゐんてん)学翁(かくをう)玄誉(けんよ)大居士(たいこし)の
文字(もんし)を採(とり)て寺号(しかう)に用(もち)ひ天永(てんえい)琳達(りんたつ)和尚(おしやう)開山(かいさん)たり《割書:或(あるひ)は應天(おうてん)和尚(おしやう)とも|いふよしいへり》
本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)作(さく)詳(つまひらか)ならす
学翁齋(かくをうさい)の墓碑(ほひ)境内(けいたい)にあり又 當山(たうさん)開闢(かいひやく)鶴松院殿(くわくしようゐんてん)快窓(かいさう)壽渓(しゆけい)
大姉(たいし)とし称(しやう)する石塔(せきたふ)並(なら)ひ立(たて)り鶴松院(くわくしようゐん)何人(なにひと)なる事(こと)をしらす猶(なほ)
【左丁】
可尋(たつぬへし)《割書:氏朝(うちとも)は吉良(きら)左兵衛佐(さひやうゑのすけ)頼康(よりやす)の養子(やうし)にして今川(いまかは)の一族(いちそく)堀越(ほりこし)治部少輔(ちふのさうしふ)|貞基(さたもと)の次男(しなん)にて駿州(すんしう)瀬名(せな)陸奥守(むつのかみ)一秀(かつひて)の弟(おとゝ)なりといふ》
弦巻郷(つるまきのかう) 世田谷(せたかや)にあり此地(このち)は昔(むかし)桑原(くははら)右京進(うきやうのしん)といへる人の所領(しよりやう)たり
し由(よし)永禄(えいろく)二年 小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)の所領(しよりやう)役帳(やくちやう)に見えたり
世田谷(せたかや)八幡宮(はちまんくう) 同所にあり相傳(あひつた)ふ八幡(はちまん)太郎(たらう)義家(よしいへ)朝臣(あそん)の勧請(くわんしやう)
なりとそ則(すなはち)此地(このち)の産土神(うふすな)にして祭礼(さいれい)は八月十五日なり
龍華山(りうけさん)永安寺(えいあんし) 長壽院(ちやうしゆゐん)と号(かう)す天台宗(てんたいしう)にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)せり
本尊(ほんそん)千手観音(せんしゆくわんおん)は惠心(ゑしん)僧都(そうつ)の作(さく)なりといふ開山(かいさん)は清仙(せいせん)上人
《割書:俗姓(そくせい)は二階(にかい)|堂氏(たううち)なり》開基(かいき)は鎌倉(かまくら)公方(くはう)源(みなもとの)氏満(うちみち)朝臣(あそん)なり中興(ちやうこう)開山(かいさん)は乗海(しようかい)
法印(ほふいん)《割書:俗姓(そくせい)は石井(いはゐ)|氏(うち)なり》同(おなしく)中興(ちやうこう)開基(かいき)は石井(いはゐ)内匠(たくみ)兼雄(かねを)法名(はふみやう)を良賢(りやうけん)居士(こし)と号(かう)す
龍華樹(りうけしゆ)《割書:堂前(たうせんの)櫻樹(さくら)を号(なつ)く今(いま)は枯(かれ)たり當寺(たうし)の開山(かいさん)清仙(せいせん)上人 鎌倉(かまくら)大藏谷(おほくらかやつ)永安(えいあん)|寺(し)の旧地(きうち)より遷(うつ)し裁(うゑ)たりとなり當寺(たうし)を竜華山(りうけさん)と号(なつ)くるも此樹(このき)に》
《割書:よるとなり永安寺(えいあんし)の旧跡(きうせき)は鎌倉(かまくら)大蔵谷(おほくらかやつ)瑞泉寺(すゐせんし)の門外(もんくわい)|右(みき)の谷(たに)を云 往古(そのかみ)永安寺(えいあんし)は源(みなもとの)氏満(うちみち)朝臣(あそん)の菩提所(ほたいしよ)なりしと云》
石井氏(いはゐうち)移塋碑(いえいひ) 《割書:本堂(ほんたう)北(きた)の|側(かは)にあり》
相傳(あひつたふ)鎌倉(かまくら)公方(くはう)氏満(うちみち)朝臣(あそん)《割書:左馬頭(さまのかみ)基氏(もとうち)|子(こ)なり》應永(おうえい)五年十一月四日 逝去(せいきよ)