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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之8 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之8 - ページ 56

ページ: 56

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【右丁】  未来(みらい)成佛(しやうふつ)の道(みち)を問(とひ)奉る同十三年辛巳正月廿四日 行基(きやうき)菩薩(ほさつ)  此地(このち)に至(いた)りたまひ地蔵尊(ちさうそん)の像(さう)を彫刻(てうこく)ありてこれを貧女(ひんちよ)に与(あたへ)て  曰(のたまは)く此地(このところ)は則(すなはち)本尊(ほんそん)有縁(うえん)の霊地(れいち)なり汝(なんち)直(すく)に精舎(しやうしや)を営(いとな)むへし吾(われ)  其(その)勝地(しようち)を卜(ほく)すへしとて柱杖(しゆちやう)を以(もつ)て地上(ちしやう)に畫(くわく)して是(これ)を定(さため)給ふ《割書:今(いま)地(ち)|蔵屋(さうや)》  《割書:敷(しき)と云(いふ)は其(その)|旧跡(きうせき)なりとそ》依(よつ)て貧女(ひんちよ)は《割書:其頃(そのころ)世(よ)に地蔵尼(ちさうに)|と字(あさな)せしとなり》薙染(ちぜん)して寺院(しゐん)建立(こんりふ)の大志(たいし)を  企(くはた)つるに同郷(とうきやう)の冨民(ふみん)秦氏(はたうち)某(それかし)なる人(ひと)糧財(りやうさい)を喜捨(きしや)し田園(てんえむ)を附(ふ)し  けれは精舎(しやうしや)僧坊(そうはう)悉(こと〳〵)く落成(らくせい)し称名(しようみやう)散花(さんくわ)梵唄(ほんはい)の声(こゑ)絶(たゆ)る事なか  りし然(しかる)に建武(けんむ)二年の兵乱(ひやうらん)に堂宇(たうう)悉(こと〳〵)く灰燼(くわいしん)となりしより己降(このかた)  本尊(ほんそん)のみ假(かり)に草堂(さうこう)に安(あん)し奉りしに遥(はるか)の後(のち)世田谷(せたかや)の吉良氏(きらうち)不(ふ)  測(しき)の霊夢(れいむ)を蒙(こふむ)り大(おほい)に崇敬(そうきやう)ありて寺院(しゐん)再興(さいこう)ありしかと竟(つひ)に  天正(てんしやう)の頃(ころ)小田原(をたはら)北条家(ほうてうけ)没落(ほつらく)の後(のち)は吉良氏(きらうち)の家(いへ)も共(とも)に亡(ほろ)ひたり  一宇(いちう)を存(そん)するのみ《割書:往古(そのかみ)堂舎(たうしや)兵火(ひやうくわ)の為(ため)に灰燼(くわいしん)せし頃(ころ)も本尊(ほんそん)は自(みつか)ら火焰(くわゑん)を|遁(のか)れ給ひて恙(つゝか)なし其後(そのゝち)此里(このさと)に住(すめ)る川辺氏(かはへうち)某(それかし)妻(つま)の》 【左丁】  《割書:安産(あんさん)を祈(いの)り奉りて奇瑞(きすゐ)ありしかは報恩(ほふおん)の為(ため)永世(えいせ)當寺(たうし)の檀那(たんな)となり|其頃(そのころ)田園(てんえむ)等(とう)を喜捨(きしや)し奉りしなり》 観音寺(くわんおんし) 吉祥院(きちしようゐん)より八町はかり西(にし)の方(かた)宇奈根村(うなねむら)にあり當寺(たうし)は  永正(えいしやう)年間(ねんかん)天台(てんたい)の沙門(しやもん)實海(しつかい)《割書:河越(かはこゑ)喜多院(きたゐん)弟(たい)十四世なり|天正五年八月十七日 化寂(けしやく)す》創建(さうこん)する所の  寺院(しゐん)にして深大寺(しんたいし)に属(そく)す本尊(ほんそん)十一 面(めん)観音(くわんおん)の木像(もくさう)は傳教(てんけう)大師(たいし)  の作(さく)なり故(ゆゑ)に寺号(しかう)とせりといふ《割書:昔(むかし)は相州(さうしう)小田原(をたはら)にありて圓正寺(えんしやうし)と号(かうし)|たりしか兵火(ひやうくわ)に亡(ほろ)ひたる故(ゆゑ)に炎上(えんしやう)の響(ひゝき)》  《割書:あるをいとひて寺(し)|号(かう)を更(あらたむ)るといふ》  荒井(あらゐ)對馬(つしま)治義(はるよしの)墓(はか)《割書:當寺(たうし)にあり相傳(あひつたふ)治義(はるよし)天文中(てんふんちやう)上野國(かみつけのくに)新田(につた)より出(いて)て|小田原(をたはら)の北条家(ほうてうけ)に仕(つか)へ後(のち)此地(このち)に遁(のか)れて民間(みんかん)に交(ましは)り》  《割書:天正(てんしやう)元年癸酉二月十七日 没(ほつ)する由(よし)碑面(ひめん)にみえたり此地(このち)に|荒井氏(あらゐうち)の子孫(しそん)今(いま)に連綿(れんめん)として相續(さうそく)するものは此(この)ゆゑなり》 永劫山(いやうこふさん)慶元寺(けいけんし) 華林院(けりんゐん)と号(かうす)観音寺(くわんおんし)より七町あまり西(にし)の方(かた)喜多(きた)  見村(みむら)にあり浄業(しやうこう)の精舎(しやうしや)にして木机(こつくゑ)の泉谷寺(せんこくし)に属(そく)す  本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)の座像(ささう)は一尺 計(はかり)ありて恵心(ゑしん)僧都(そうつ)の作(さく)なりと  云 開山(かいさん)は真蓮社(しんれんしや)空誉(くうよ)上人と号(かう)せり當寺(たうし)は江戸(えと)遠江守(とほ〳〵みのかみ)の後裔(こうえい)  《割書:江戸(えと)刑部少輔(けうふのせういふ)頼忠(よりたゝ)の子(こ)を江戸(えと)摂津守(せつつのかみ)朝忠(ともたゝ)とよへり此人(このひと)も頼忠(よりたゝ)に同(おな)しく小田原(をたはら)に|属(そく)せり頼忠(よりたゝ)の次男(しなん)勝重(かつしけ)《割書:始勝忠|と云》より江戸氏(えとうち)を改(あらため)て其(その)采邑(さいいう)喜多見(きたみ)の地名(ちめい)を以(もつ)て氏(うち)》