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コレクション: 松平文庫

命令之部 三 - 翻刻

命令之部 三 - ページ 132

ページ: 132

翻刻

〇他所ゟ入込候合焔硝買取候儀被指留候間其段吟味之上可申付旨                       御目付へ 〇右同断ニ付本多内蔵助方留守居之者召呼其段申渡候様并金津奉行方へも可申越旨                       土屋十郎右衛門 〇焔硝屋半七願之通他所ゟ入込候合焔硝買取之儀指留候間其段玉薬奉行へ  可申聞旨                       井原丞助 〇他所ゟ入込候合焔硝買取候儀被指留候間私共支配下吟味之上其段可申付旨 一松岡焔硝屋半七願之趣願之通被仰付候間其段可申渡旨     四月廿五日                       町奉行へ 〇去寅年大安寺へ御代参相勤候面々之駕舁并雨具持人足持込持継之  儀臨時申争及指支其後双方願通を以掛返答吟味有之候処無証拠之申立  難取用ニ付双方内済致熟談候様被申付候得共不相調候旨委細双方申立方書  付を以被相達候義共令評議向後外町口之通駕舁并雨具持人足無指  支境村ゟ持込候様可申付旨郡奉行井原丞助へ別紙之通申渡候間此段  下三ツ橋町役人共へ可被申渡候猶又令吟味候処近年下三ツ橋町役人共心得  違人足継立持込候義も有之ニ付境村人ニも仕来与相心得臨時申争及指  支候右心得違之儀有之段も不申出旁以下三ツ橋町役人共無念之取扱致候間  役所ニおゐて急度叱之過料銀可被申付候       井原丞助へ申渡別紙  御自分支配下境村人共去寅年大安寺江御代参相勤候面々之駕舁并雨具  持人足持込之儀下三ツ橋ニ而継立持込候様臨時申争及指支其後双方願通り掛  返答吟味有之候処古来ゟ仕来与申立候茂無証拠ニ付難取用内済致熟  談候様双方へ被申付候得共不相調候旨依之令評議向後外町口之通駕舁并  雨具持人足無指支境村ゟ持込候様村役人共へ可被申付候若及違背候ハヽ吟  味之上急度咎可申付事ニ候町奉行小林又右衛門へも別紙之通申渡候間為心得  相渡候  但井原丞助へも右同断別紙弐通被相渡之      五月十六日                       多賀谷権兵衛

現代語訳

○他所から持ち込まれる合焔硝の買い取りについて禁止するので、その件について吟味の上申し付けるよう                       御目付へ ○右同様につき、本多内蔵助方の留守居の者を呼び寄せてその件を申し渡すよう、並びに金津奉行方へも申し越すよう                       土屋十郎右衛門 ○焔硝屋半七の願いの通り、他所から持ち込まれる合焔硝の買い取りについて禁止するので、その件を玉薬奉行へ申し聞かせるよう                       井原丞助 ○他所から持ち込まれる合焔硝の買い取りについて禁止されるので、私共の支配下を吟味の上、その件を申し付けるよう 一、松岡焔硝屋半七の願いの趣旨について、願いの通り仰せ付けられるので、その件を申し渡すよう   四月二十五日                       町奉行へ ○去る寅年に大安寺への御代参を勤めた面々の駕籠かきと雨具持ち人足の持ち込み・持ち継ぎについて、臨時に争いとなり支障をきたし、その後双方の願い書によって掛け合い返答吟味があったが、証拠のない申し立てで採用し難く、双方で内済として熟談するよう申し付けたが調わなかった旨、詳細は双方の申立書をもって達せられた件について評議し、今後は外町口の通り駕籠かきと雨具持ち人足を支障なく境村から持ち込むよう申し付けるべき旨、郡奉行井原丞助へ別紙の通り申し渡したので、この件を下三ツ橋町役人共へ申し渡すべきです。なお吟味したところ、近年下三ツ橋町役人共の心得違いで人足継立持込の件もあったため、境村の人にも仕来りと心得て臨時に争いとなり支障をきたしました。右の心得違いの件もあったことを申し出ず、ひとえに下三ツ橋町役人共が無念な取り扱いをしたので、役所において厳しく叱り過料銀を申し付けるべきです。     井原丞助へ申し渡し別紙  御自分支配下の境村の人共について、去る寅年大安寺への御代参を勤めた面々の駕籠かきと雨具持ち人足の持ち込みについて、下三ツ橋で継立持込するよう臨時に争いとなり支障をきたし、その後双方の願い書による掛け合い返答吟味があったが、古来からの仕来りと申し立てても証拠がないため採用し難く、内済として熟談するよう双方へ申し付けたが調わなかった旨、これにより評議し、今後は外町口の通り駕籠かきと雨具持ち人足を支障なく境村から持ち込むよう村役人共へ申し付けるべきです。もし違背すれば吟味の上厳しく咎めを申し付けることになります。町奉行小林又右衛門へも別紙の通り申し渡したので、心得のため相渡します。   ただし井原丞助へも右同様別紙二通を渡されました。   五月十六日                       多賀谷権兵衛