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コレクション: STAGE2

[明暦大火に関する冊子] - 翻刻

[明暦大火に関する冊子] - ページ 3

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きゝたまいみづから牛嶋へきたられ御ゑかふあり其くりきによつてなきさけふこえ やむなりこゝニふしぎなるは右のとふばのまはりに数万のかわづおける身よりのもの きたりてこれを見るにわがおや又は兄弟妻子のやうにおもわれなきかなしむ 事あわれなり大増上様きたまへふびんにおほしめされ上様へ願を上ケ善光如来を まねきかり営をしつらい日数六十日の間くやうありによらいのりやくによつて数万の かわづもなくなりける今において回向院は六十けん四方の内かわづ疋も出る事 なし又江戸初めてのこれ開帳の初めなり御本堂こんりうして諸宗山 無ゑん寺ゑかういんと名づけられたり後に増上寺の末寺となり 豊国山回向院無りやう寺と改名せられしなり回向院御きとうの思召 にや万治元年に初めて大川に橋をわたされ両国橋と名付られたり扨も 十八日十九日西風はげしく同時十八ヶ所へもへ上り大火にて土砂をふらせ 大風家をたをし並木をおるのいきおいなれば火につゝまれけむりにまかれ 死ものおびたゞしく十八十九日とやけ江戸中に残る家すくなく七ぶ通の 原なり江戸初りての大火なれば人〻どをうしないおやをうしない子をなく し妻夫にわかれきせんろうにやく男女上下のしやべつなくこんざつし ふみころされかしヒに焼死目もあてられぬ事共〻なりかゝる大火の事ゆへ 諸大名方御城へ詰られける然るに松平陸奥守様ばかりは 御城へ出られづ廿一日陸奥守殿使者申上けるは扨此度はまことに 大へんの出火に御座候陸奥守も此たび五ヶ所の屋しき四ヶ所焼 失仕品川袖ヶ崎のやしき一ヶ所仕合にのこり候さりなからこの そふどふに候へば江戸四方口〻心もとなく奉存候に付此節人数びせいには御座 候得共人数何連仕四方入口品川口へ千人きば廿人四ツ谷口へきば廿人人数 千人板橋口へは人数五百人きは十人千住口へはきば十人人数五百人差むけ ぎやう〳〵しく候得共はた馬印をのくかつちうをさしゑものたづさへ目立候 ていに御座候火しづまり候上は人目をいかゞに候よつて御見とゝけ下され候やうに 願上候との口上此事上ぶんにたつし上にもきどくなる事におぼしめし役人を よひ上いのおもむき申渡す陸奥守も此大へんに付能こそ心付四方 入口のかたや人数さくおし候事上にも御まんぞくに思召それがしもけんし 仰付られかくのごとくと申ける役人ども御請申上人数行れつを 立引取ける後に召出され種〻拝領物たまはりさんきんのせつ鉄砲 切火なわ御免ありま事に家のめんぼく末の世までも人のしる敷なり 又こゝに八木沢丁横山町馬喰丁柳原清がん寺東玉ヶ池此辺男女車