翻刻
一人あり此娘安兵衛にめあわす今に存命す歳八十余妙海といふ老
尼なり其此安兵衛高田の馬場にて伯父の助太刀して高名の聞へ世
に遍し堀内門人となりて二三月の間の事なり依之弥兵衛養子にせ
んと望みけれとも不肯安兵衛他苗を続く意なしといふしかれとも
弥兵衛頻りに懇望してやます堀内氏広沢もすゝむれと安兵衛承知
せす故に弥兵衛せんかたつきて君公内匠頭殿に申ていはく安兵衛
事高田馬場の事世上かくれなく此もの同門たるによりて聟養子と
せんといへとも安兵衛他苗望なしと不肯それかし養子すとも君の
御用に立へきものをこそ養子すへき事也願くハ彼か苗字を以壻養
子と成さしめ給へと申す内匠頭殿ゆるし給ふゆへ此事を堀内氏に
申安兵衛に告たり安兵衛いはく如此深切にして君公にもゆるし蒙
りたるは我意に任せ難しとてこれに応す安兵衛自分の苗字を以居
る事三年弥兵衛大に喜ひ安兵衛に遇する事あつし安兵衛も堀内氏
且広沢に謂て曰予養父の志に感す故に養父の苗字を続へしといふ
此よしを弥兵衛につく弥兵衛大に悦ひ君公に申君公甚た感す依之
堀部安兵衛といふ安兵衛ハ越後長岡の産牧野侯の藩中より出たる
人也東都に来りて立身せんと思ひ御旗本の長屋をかりて住す松平
左京太夫との藩中に伯父あり其時分ハ左京太夫との屋しきハ喰違
ひなり後渋谷に移る囲碁の争論より起りて高田馬場において打果
さんと約し暁天に伯父安兵衛宅にいたりて我朋輩と喧嘩に及ひ只
今高田馬場へ行也汝に妻子事を托す安兵衛曰予壮年にしてかゝる
事を聞何そや妻子を預るへけんや妻子ハ外の親族よきにはかろふ