翻刻
く三人兄弟の親なるへし此一件世上にかくれなし故に弥兵衛も安
兵衛を望たる也
一浅野家臣仇を報んと欲するに及て広沢の着込を安兵衛に借したり
しに事有らんとするの前日に広沢の宅へ来りて曰予先生の着込を
恩借すといへとも明夜既に棄物とするにたへす明夜用る処は自分
製したり用るに足れり厚情を奉謝といふて先生に着込ハかへした
り義士没落に遺物として父弥兵衛刀笄安兵衛雙の籠手《割書:かきに染た|る木綿に包》
《割書:み中ハ具足|の小手也 》間重次郎《割書:半つむりの|あてもの 》今に九皐の家にあり
一仇を報するの前夜堀部宅に四十七人より来る兼而広沢も知る也と
いへとも密事なれハ独歩して行たり途中にて鶏卵を求めて袖にし
てゆかれたり二階ある家也追々に義士入来る大石父子も見かけた
れとも知人に非す剣術の同門七人のみ知己也もたらす処の鶴卵を
以て吸物に作りたり卵を取て砕て曰明暁迄には吉良氏を如此なし
て電覧に備ふへしといふて卵を悉く砕たりとなん
一広沢深川八幡町に寓居の時義士報仇する夜広沢夜半に屋根へあか
ること度々也嬬人何事そと問へは今宵天文を見る事あり漸くふし
て考起て天象を見るといふて終夜不寝時暁に頻りに広沢の門をた
ゝく者有広沢早速に出むかふ門外に堀部安兵衛来りて今暁大望首
尾よく成就し只今泉岳寺へ引取る也外とハ違ふ間吉事を告る也と
いふより早く走りて立帰る広沢もおつ取刀してゆかれけれともは
や橋のむかふへ引取て跡を見送りけると広沢の嬬人九皐の幼少の
時分物語りせられたり嬬人ハ広沢よりさきたつて死去せられたり