翻刻
鏡山(かゞみやま)の狂言綺語(きやうげんきぎよ)。いざ立(たち)よりて看官(ごけんぶつ)。合巻(がふくわん)の冊子(さうし)年経(としへ)ぬるまで。老(おい)たる
も若(わか)きも復讐(ふくしう)の小説(せうせつ)に目(め)を怡(よろこ)ばすこと世(よ)に流行(りうかう)するや茲(こゝ)に久(ひさ)し。其流行(そのりうかう)の
逸疾(いちはや)き。鰹(かつを)のさしみは黄肌(きはだ)の鱍(まぐろ)【鱍=黄鰭、キハダマグロ】に寵(てう)を奪(うば)はれ。江戸前の鱣(うなぎ)は穴子(あなご)の蒲(かば)
焼(やき)に権(けん)を執(と)らる。七変化(しちへんげ)さへ割増(わりまし)して十二月 八景(はつけい)の所作(しよさ)を愛(めで)。暑中(しよちう)の冷(ひやつ)
水(こい)はやり風の為(ため)に五苓湯(ごれいたう)麦湯(むぎゆ)の熱(あつ)きを賞(しやう)す。夫(それ)羽折の長 短(たん)目識(もくし)す
るに遑(いとま)あらす。染色(そめいろ)の浅深究(せんしんきはめ)て測(はかり)がたし。密妾(かこひもの) 鼻(はな)について寝臭(ねぐさ)き
女房(にようばう)に劣(おと)り。籠細工(かございく)目に
倦(あき)て朝皃(あさがほ)の花のはかなきを詠(なが)む。流行
段々だんぼさん【意味不明】廃(すた)れてかん〳〵踊(をどり)の一品(いちぼん)たいさうにおこなはる。物換(ものかは)り
星移(ほしうつ)りて。実(げに) 名(めい)月のかがみ山。磨(みが)きあげたる傾城(けいせい)のざうり打(うち)。うつて
かはつた新米新粉。喰気(くひけ)と下卑(げび)てはならさりや。この手(て)をつくした作者(さくしや)
の腸(はらわた)。一ぱいうけた色気(いろけ)のたつぷり。うつろふものは世中(よのなか)の。人のこゝろの
はなにぞ有(あり)ける。
文政五年
晋米斎五粒述 「米齋」と書いた瓢箪型の印
壬午孟陬