翻刻
つきて縁浄庵雪鴎といひき雪鴎の姉なる
ものは名をこうといひしが吾父の媒して本郷
真光寺門前なる笹屋七兵衛といひし餅(モチ)屋が婦(ヨメ)に
おくりぬ雪鴎も天保年間と覚ゆ不幸にして
東海道の旅に病(ヤミ)て死す其後紙屋六兵衛
誹諧の名を曽云といひしか終に家を《ルビ:はふ|屠》らかして
又誹諧者流をなりはひとすさるを近曽(チカゴロ)病で
腰|屈(カヾマ)りありくことを得ずして憐むへし此難 ̄ンに
あひぬ呼(アヽ)遠つ祖(オヤ)より代〻につたへし若干(ソコバコ)の
資財を浮華のためにうしなひふたりながら
かゝる終りを遂(トゲ)けるはいと〳〵うれたき事なりかし
こは是(コヽ)にあつかるましき事なれど又因み
なきにしもあらされは筆にまかせて記す今日
幸橋御門外の原浅草広小路深川海辺大工町
此三ケ所へ究民撫育のために御救ひの小家建 ̄ツ
五日|天晴(ソラハ)るいで此後の思ひ出に又あひかたき
治平の中の愁ひをも見て来んとて朝より家を
出つ先 ̄ツ青物町より例の小路を過て永代橋を
【上段】
御小屋入りを願ふ
そのいと多かりしかば
後に上野御火除地
深川八幡社内此
二ケ所御救小屋たちて
都合五ケ所と成る