翻刻
荒たるさまのあからさまにていと〳〵すさまし
行〻水道橋をわたりつゝ水府公のみあたりを
窺ふに御館を初めて御築地に至るまでつよく
ゆりふるひしさまいふべくもあらずこゝに前中納言
斉昭卿の羽翼の良臣前年寄海防掛り藤田
誠之進《割書:元虎之輔なりしかと戸田忠太夫と対して誠之進と|改名せらる所謂誠忠の二字を以羽翼とせさせ給ふ御心そへ也》戸田
忠太夫此両士は文武の達者にて世に普く聞えたる
人たち也殊に誠之進は博識多才にて此度の変事の
十日ばかり前とか文武の司を命せられしを
なゐぶりの夜両士ともおのか宿所にありて共に
此難 ̄ンにあひ身まかりしと聞ゆ此に歎息をしのひて
百間御長屋の前を過つゝ江戸川の北へらを行に
龍慶橋の上之中の橋より石切橋のあはひあるは
一|條(スヂ)あるは二條にいたく地の裂しあと長〻とみゆ
小日向の荒木坂に酒商ふ家の松本屋忠右衛門と
いへるは吾親属なれは訪んとするに家衰へて先 ̄キつ年
あとなくなりぬと聞くに本意なく
小石川伝通院前通りより富坂を越えて本郷の
【上段】
覚(サムル)曰神仏の擁?護
福善禍淫なといへるは
共に勧懲の説にして
論するにたらす誠
忠の両士は君に忠
あるのみにあらす
親に孝あり既に
其夜地震動揺の
をりからは父母を
扶(タスケ)んとしてかゝる
災(ワサハイ)に遇と聞く嘗(カツ)て
天命は是歟非歟と
いへりし古人の金言
うべなるかな惜む
べく且歎すべし