翻刻
湯島より小川町丸の内の間つよくゆり
西御丸の内|連屋(ナガヤ)より火起りし事なと見え
又ある書に此時戸障子倒れ家は小舟の大浪に
動くがごとく地は割れ砂をもみあけ水を
吹出したる所もあり石垣家蔵頽れあるは
潰れて死人夥し又所〻毀れたる家より
失火ありて且同夜|海浦(ツナミ)の変ありて房総の間
人馬とも多く死し小田原は殊につよく
震ひ大浪地を破て二千人余死亡せりと見え
又後見草といへる書のあら〳〵をこゝに
約(ツメ)て記す天明二年壬寅七月十四日子の刻
ばかりなゐぶりつよかりしに人〻は寝入り
こみたる頃なれは驚きさはく事おほかた
ならず又明る十五日の夕つがた卒爾にゆり
出し壁をふるひ瓦を落しあやしき
家などは見るまに倒るゝも多かりき明る朝
見れば地(ツチ)は氷の如く裂けつ其中にも
小日向の江戸川の岸は地三尺計り裂け
【上段】
悟一曰後見草は
鶏?斎といへるもの
宝暦より天明
までの天変地
妖を見聞のまゝ
に筆記して亀
岡石見《割書:石方|御用》達
眼前に記したる
覚書に合冊し
てしか名つけし
写本也