翻刻
一 明治廿九年八月三十一日秋田縣下仙北郡眞昼山大地震ノ時長信田村ハ戸
数三百五十七戸人口二千三百三十七人あり家屋全潰百三十九戸半潰三十六戸破
壊百四十戸にして即死者十六人負傷二十七人牛馬即死八頭を出せり又震災当
時の模様を聞くに震動急激の為メ歩行するを得ず皆匍匐して逃け出た
りと其内に一歩後れて逃け出たる者ハ無惨の死を遂けたりといふ此震災
ありし二週間前に月二ツ現れたるを本村民にして見たる者有とのこと
なるか多分天変の前兆ならんといふ果して然るや否や
大阪地震記
嘉永七甲寅年。《割書:安政|元年》六月十三日午之時と未之時に地震二度強此
れども二ゆりにて鎮まりたり今年は七月潤くはゝれる年に
て六月節十四日なれば暑さも後れしにや折ふしハ袷を着る事
もありなどし兎角寒暖定まらず皐月之末より逆上の病
に悩て目を憂ふ人多く風邪もまぢりて何方も五人三人此病人
ありしが水無月になりて大かたは癒たり扨又去年《割書:丑|年》は近く
弐三十年に稀なる旱にて五月廿八日に雨ありしより秋の半過る
頃までに漸く夕立雨三度せしましなれば川々の流れかれ〳〵
になり溜池とても限ある水なれば茂る稲葉を養ふにとも【右に(ぼ)と添え字】し