翻刻
を幸喰にせんと拾ひあつめ只忙然とあたり(四方)をながめ居る内艮の方に
黒煙たち登り火事よ〳〵と呼はれども半鐘打にもあらず次第
に火之手あがりければ辛き命を助りぬれど荷物を焼なはかつ
かせんとあわてふためき逃場を尋んとすれとも家倒れあひて
道なく又は過半潰れかゝりし家なとにて通り得かたく其
内新通壱丁目亀屋惣吉といへる三味線師之裏蕪畑ある所を
見付此所へ荷物をはこぶべしとおもへども各力ぬけて持事あた
はづ漸垣の竹一本ぬきて二人釣にて一個づゝはこふに亀屋は
瓦葺の家なるに過半倒れかゝりし横町を通ふ事なれば
今にも震動せばうたれ死せんとさらに安き心なし仕合に荷物も運
び尽しぬれば少しは心落付たれど寺町といふ所なれば南側ハ
寺院建並び北側は町家なれば四方へ三間ばかりづゝ空地有のみ
兎角火事覚束なく其内には爰に燃立かしこに火事よと呼
はりぬれども己々か事にかゝりて誰集まる者もなく江川町
砂張屋某といふぬり物問屋より出火大西風なれバ次第〳〵
と北東の方へ燃ぬけると見申併し此邊は風上なれバあへて騒
ぐ人もなけれ旅之空にては安き心少しもなし荷物を運びし
蕪畑ハ跡にて聞けば伊勢屋平治らといへる家につくりし畑と
なむ此近隣之人もおひ〳〵裏の畑へ諸道具を持出しけれども
今宵ハ雨露を凌ぐへき心もつかざりしかば四日市の地震の噺
などして日の内に風囲ひの用意然るべしと予心付けれバ
実に尤なりと各々戸障子抔にて四方を覆ひぬ我々も此侭にてハ