翻刻
一夜を明しがたく渋紙馬桐油など出して一畳敷位の居所を構へ
たれども未時過にも尽飯さへたべねば如何して命をつなくべ
きと案じ居けるに田尻屋利八といへる家より見かねて漸七り
んにて少し飯を焚たれば一飯振舞べしと女房の申されたれば闇夜に
燈を得し心もちして会釈【釈の異体字】もなく三人連立飯小家に入て馳走になり
ぬされとも磯田の落所知れされば猶蔵にそのあたりの野辺へ尋ね
に遣りけれども土地不案内誠に通路の出来兼る所もありて知れじ
と帰り来る予引かはりて彼所爰尋ね廻れども田畑は諸道具の
山をなして見分られねば空しく帰りぬさりなから馬士と同道
なれば程よき處に立退しとおもへども居所知れさるうちは覚
束なし三人手分して尋ん【右に、む】にも三駄の荷物其侭にも捨置がたく兎
や角談じ居ける所へ先の馬士案内にて漸磯田尋ね来り次第を
尋ぬるにお城より東北鷹匠町辺の畠に荷物おろしけれども
一人の事故詮方なく案じ居けるに同心高須徳蔵といへる人見か
けて何處の人なるやと尋ねられけれバ伊勢の者なるよし答ふれバ
大御神の御荷物なれバ是非御寝申よし申されけれバ悦びに堪へず
その家へ荷物を預け置此處迄尋ね来りたりと語り互に無事
を悦びて目出度春を迎へし心地ぞする夫より荷物を取よせ
四人一ツ所に居んとおもへども馬士のいふやう此騒動の中に半道も隔
ぬれば最早つけ来る事むづかし我家もいかゞなりしや心もとなけ
れとも旦那《割書:旦那トハ磯田ヲサシ|テイフ馬士ノ詞ナリ》も独りの事故気の毒と思ひ是まで案
内せし也といふに尤なることなれバ磯田に樽蔵をつけ居所見届