翻刻
取けるに長さ一寸五分計りあり彼是一抓もありければ取敢ず食用と
せり此事さまでの事にも有ましけれど時候を偏する時は頗る奇と云
べし殊に二日の地震後毎夜〳〵の稲光りとも不安心のやうに思はれ
又雷鳴の気折々あるも彌々穏かならず漢人の語に臘裏【臘裏:陰暦十二月のうち】の雷は山上
小舟を繋ぐといふ事もあれば此未洪水の憂など如何にあらんと思へば
扨々心苦しく物事手に付ぬやうになりて驚怖せるも全く老の身の
然らしむる處ならんが
此書は安政二乙卯年十月二日夜江戸を中心とせる大地震并ニ大火災を
記したり
銀鶏は性を畑氏といふ、名時倚。字節昻。上野国甘楽郡の人なり当時江戸に
出て亀井戸村に寓し平亭と号す
一 四月十二日の未明に上総木更津の友人吉澤伯養と云へる医家余か旅
宿へ立寄りて云ふ今日途中に要これあるにつき舩を止岡を帰り候
故鳥渡お暇乞なから御立寄申候又々五月末には出府之心深也扨て
今馬喰より此方へ来る途中にて不斗空を眺め候得ば空甚以て低
く相見え其上空【取消て右に雲】の様子何とも心得かたき處あり必ず今日中に地震
あるべしと思はれ候えば御心付然るべしとのことそれより用向の事
など荒増済ければ伯養そこに暇を告げ余が枕?亭を立出既に道の
程七八町も行けるかと思ふ頃余程の地震動揺して人々驚き騒しこ
とあり此時空の低しと聞しゆへ仰き見たれどおのが目には常に変
りしことなしと思はれぬ (時雨の程)
(雑誌中央公論より秡翠 記者 芥川龍之介氏