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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - ページ 14

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【上段】 き破らせ之(これ)を負傷者に給与(きふよ)して漸(やうや)く第(だい)二の困難(こんなん)を凌(しの)ぎ而(しか)して 最後(さいご)に来る一|大困難(だいこんなん)は琢治が貯蔵の米麦(こめむぎ)雑穀悉皆|尽(つ)きて今は一 同(どう)餓死(がし)せん許りの難境(なんきやう)に陥(おちゐ)るに至(いた)れり噫琢治は如何にして此難 境を切(き)り抜(ぬ)け得たる乎|如何(いか)にして此|難境(なんきやう)を凌(しの)ぎ得(え)たる乎(か) 一|家(か)八人の家族(かぞく)に八十余人の負傷者を控(ひか)へ各戸より徴発(ちやうはつ)せし人 夫にも夫(そ)れ〳〵|飲食(いんしょく)せしめざる可(べか)らず是(これ)が為に貯蔵の米麦(こめむぎ)悉皆(しつかい) 尽き今(いま)は如何(いかん)ともする能(あた)はざれば八里の山路を越(こ)へて使者(ししゃ)を気 仙郡役所に送(おく)り危急(ききう)を報(はう)じて米穀(べいこく)の補助を仰(’あほ)ぎしも郡役所は是(これ) に応(おゝ)ずる能(あた)はず屡々迫て屡々却けられたればさらばとて負傷者 に給与(きやうよ)すべき薬品の補給(ほきう)を請求したるも是(こ)れ又(また)応ぜず実丹にて も給与(きうよ)せられたしと請(こ)ひ亦(また)其(かの)希望を達(たつ)する能(あた)はざりしより琢治 は茲(こゝ)に進退(しんたい)谷まり如何(いか)にして此(この)八十余名の負傷者を飢餓(きが)の内(うち)よ り救ひ得(え)んかと熟考中一駄馬米三俵を付(つ)けて通過(つうか)せりとの報知(はうち) に接(せつ)す琢治|即(すなは)ち床(とこ)の間(あひだ)に飾りたる銃丸(じうがん)込めし猟銃(れうじう)執(と)りて駄馬の 跡(あと)を負(お)ひ行けり 「コリャ〳〵馬夫某米を此方(このはう)へ寄せ越せ「否如何(いないか)致しまして是(これ)は遙 々遠野から此(この)唐丹村の大石(おほいし)に運(はこ)ぶのでモウ買済(かひすみ)の品物です「ナ ニ大石(おほいし)に行く大石(おほいし)は同し唐丹の内(うち)にありても唯一|戸(こ)の外(ほか)流失(りうしつ)せ ず又(また)一|人(にん)の負傷者さへなき所(ところ)に何(なに)とて焦眉の急用(きうよう)あらん我等(われら)の 内(うち)には唐丹全村の負傷者八十余人を集め今(いま)や此(この)負傷者が飢餓の 境に瀕(ひん)し居(を)れば希くば此米(このこめ)を我等(われら)に譲(ゆづ)りて八十|余名(よめい)傷者を救 へ馬夫は諄々として其(その)送(をく)り先(さき)の状況(じようきゃう)を説(と)き容易(ようい)に聴入(きゝい)る模様(もよう)な きより琢治は赫と憤り「愚図(ぐづ)〳〵|吐(ぬか)すな己(をのれ)の命(めい)に従(したが)はねば是(これ)た ぞ」と猟銃(れうじう)執(と)りて彼(かれ)に擬すれば遉がの馬夫(ばふ)も周章てゝ琢治の命(めい) に従ひ馬上(ばじょう)の米(こめ)を琢治の家(いへ)に運(はこ)びける噫(あゝ)彼(か)れ琢治は八十|余名(よめい)の 負傷者を救護(きうご)せんとの考(かんが)に切にして三俵の米(こめ)を道路(どうろ)に要(よう)し銃器(じうき) を用(もち)ゐて強奪し以(もつ)て漸(やうや)く一|時(じ)の急(きう)を救(すく)ひしなりき 【下段】 強奪の三俵|亦(また)尽(つ)きなんとしたれば琢治は再(ふたゝ)び釜石の鉱山に馳(は)せ 付(つ)け危急(ききう)を告(つ)げて米十五俵を借(か)り入れたれは茲(こゝ)に始(はじ)めて稍(や)や安(や)【誤植?】 堵(ど)の思(おも)ひを為(な)せる所に郡役所より六俵の米(こめ)を齎(もた)らし来る 是(これ)にて最早(もはや)食物の心配(しんぱい)なければ琢治は一向(ひたすら)力を傷者の治療(ちれう)に尽 すと雖も治療(ちれう)の手(て)を下(くだ)すは唯一|人(にん)のみ加ふるに薬品(やくひん)欠乏(けつぼう)の為(た)め 負傷者の肉(にく)腐(くさ)り骨爛れ傷所に〳〵|蛆(うじ)を生じ悪臭芬々且つ昼とな く夜(よ)となく是等(これら)の負傷者が苦悶(くもん)呻吟(しんぎん)する声(こゑ)凄しく到底尋常人の 能く忍(しの)ふ能(あた)はざるも琢治は少(すこ)しも厭倦の色(いろ)なく妻(つま)も亦(また)夫(それ)を助(たす)け てねじり鉢巻(はちまき)襷(たすき)がけ甲斐〴〵しく立働(たちはたら)き為(ため)に幾多(あまた)の 負傷者は薬品(やくひん)材料(ざいれう)の不足勝(ふそくがち)なるにも係(かゝは)らず其(その)経(けい)過|頗(すこぶ)る見(み)る可(べ)き ものありしと云へり 負傷者中|或者(あるもの)は海嘯(かいせう)を避(さ)けて山間(さんかん)に逃(に)げ込(こ)み絶食四日|間(かん)にして 出(で)て来(く)れるに両方(れうはう)の睾(きん)丸|脱(だつ)し去(さ)り一|方(はう)も耳腐(みゝくさ)りて蛆(うじ)を生(しよう)じ居(をゐ)た るあり又|或(ある)る男子は五人の家族(かぞく)を失ひ漸く一人の幼兒(おさなご)を救はん 為にいたく胸隔を撲(う)ち為に肺掀衝を起(おこ)しながらも尚其幼兒を抱(だ) きて放(はな)さず余程(よほど)の重患なるより琢治は厚(あつ)く諭(さと)して病床に就(つ)かせ 置けるに一朝此病者床を離(はな)れて起き上り琢治に向ひて其(その)幼兒の 安否|如何(いかん)を問(と)へるより琢治はわざと之を叱し「小兒の事(こと)は心配 なさるな大丈夫(だいじょうぶ)だがお前はトテも起(おき)られる様な病気(びやうき)ぢやないか ら早く行って寝(ね)て居(ゐ)なさい」と試験に彼れの脈(みやく)を検せば手足|冷(ひ)へ 去(さ)り既(すで)に脈搏なかりしが我兒(わがこ)の無事(ぶじ)てふ言葉を聴きて己が臥床 に帰(かえ)ると同時(どうじ)にバツタリ斃(たを)れたりと 琢治の邸宅は今其(いまその)台所に迄|床(ゆか)を張(は)りて負傷者を容れ猶足(なほた)らずし て十二人の傷者を隣(りん)家に移(うつ)し更に徴発の人夫に命(めい)じ去月二十二 日の夕(ゆう)より工を起(おこ)し二十三日に至(いた)りて一軒の仮(かり)小屋を落成(らくせい)し茲 にも十|数名(すうめい)の負傷者を容(い)れ居(お)れりと云ふ