翻刻
【右頁上段】
我邦(わがくに)未曽有の大災変に会(くわい)して邸宅を捨(す)て衣服を捨て己(おの)が貯蔵の
書籍(しょせき)米穀何くれとなく抛(は)ちて能く一百の人命(にんめい)を救(すく)ひ臨機応変救
難|憲法(けんぽう)を作り己(おの)れ強奪の汚名を負(お)ふ迄も一意専心負傷病者の為(ため)
に計(はか)る琢治の如きは寔に稀代の義侠者にして又(また)全村(ぜんそん)生存の住民
が能く琢治の命に従ひ秋毫(あきあたか)も違(ちが)はず琢治をして能(よ)く全村の負傷
者を蘇生(そうせい)せしめしは是れ唐丹全村の名誉(めいよう)として永く後代に伝(つた)ふ
るに足(たら)らむ
●唐丹
○山沢鶴松 唐丹(たうに)の漁夫山沢鶴松は当夜(たうや)崖の上の庵寺(あんてら)に遊び
に行き庵主と雑談(ざつだん)抔(など)しける内此の海嘯にて一家は失(うしな)ひたるも一
身丈(しんだ)けは取留めたり而(しか)して鶴松は庵(あん)にありて翌朝波にて打(う)ち上(あげ)
げられたる通貨(つうくわ)を拾ひ上げ四十余円程を得ければ之を救恤の費(ひ)
に充(あ)て且つ漁猟より帰(かへ)り来て家族住家の破滅(はめつ)に落胆せる漁夫等
を督(とく)し死骸(しがい)其他の取(とり)片付に従事したりと感(かん)ずべき事にこそ
●小白浜
○感(かん)ずべき事 小白浜の豪商(がうしょう)磯崎冨右衛門氏は海嘯襲来の前(ぜん)
日(じつ)仙台より米百石其他の物品を買ひ入れ崖上の倉庫に積み置(お)き
けるか其翌夜海嘯の為(た)め家屋|家財(かざい)家族等悉皆流蕩せられ今(いま)赤条
々の身(み)たるに拘(かゝ)はらず倉庫を発きて其米其物品を罹災者(りさいしゃ)の救恤
に充てたりと奇特(きとく)といふべし(挿図参看)
●同県南閉伊郡
●釜石町
○他人の子を救ふ 釜石町字只越の佐野重太郎と云ふは海嘯
に襲(おそ)はるゝや六|歳(さい)と四歳との小供を両腋(りやうわき)に抱へて漂(たゞよ)へる折柄大
木に突当(つきあた)りて思はず我子を手放(てばな)し無念遣る方なき所へ忽(たちま)ち小供
の浮上(うきあが)りしより直ちに引上ぐれば我子(わがこ)にあらで近所(きんじょ)の小供なり
しかば一時は呆然(ぼうぜん)たりしも危急の場合|見棄(みす)てがたしと我身の危
【右頁下段】
難をも忘(わす)れて終に救ひ得たるが此小供の宅(たく)は家族全く溺死(できし)し纔
かに此子の生(い)き残(のこ)れる為め一家の断絶(だんぜつ)を免かれたりと云ふ
◎掌中の玉を失ふ 東前(ひがしまへ)なる菊池春吉と云へるはおよし(《割書:十|五》)
と呼(よ)ぶ一人の娘あり生(うま)れて六十四日|目(め)に母親の死去(しきょ)せしより春
吉は後妻(ごうさい)をも娶らず我が手塩(てしほ)にかけて養育し早(は)や三十五にもなり
たれば行々善き婿(むこ)を迎(むか)へんものと其(そ)れのみ楽み居たるが十五六
日|以前(いぜん)より田中製鉄所構内桟橋に居住(きょやう)する土井某方へ手伝(てつたひ)に遣
はし置きける海嘯の当日(たうじつ)は五月の節句なればおよしは衣服(いふく)を着
換へて今(いま)や我家に帰らんとするとき無惨(むざん)にも海嘯に襲(おそ)はれて溺
死せしにぞ春吉は天(てん)にも地(ち)にも掛替へなき一人の娘を失ひ狂気
の如くに嘆(なげ)き悲(かなし)み居れりとなん
○養女を救ふ 字沢村の浅田弘二と云(い)へるは海嘯と聞(き)くより
戸外に飛(と)び出でし時|隣家(りんか)は忽ち推|潰(つぶ)されて我家もアハヤ破壊(はくわい)せ
んづる折柄(をりから)養女おさめが逃場(にげば)を失ひて助けを呼(よ)ひしにそ我れを
忘れて我家(わがや)に飛込(とびこ)みて助け出さんとする一|刹那(せつな)表(おもて)の方は早や
塞(ふさ)かりて出つるに由(よし)なし今は親子此に死するの外(ほか)なしと覚悟
は定めしもゝの逃(のが)れる丈(だ)けは逃れんと不図上(ふとうへ)を見あぐれば家根
破(やぶ)れて少しの隙(すき)間ありしにぞ漸く此処より外へ逃(のが)れ出て余りの
嬉(うれ)しさに親子手に手を取りて暫(しば)し涙に掻(か)き暮しとそ左(さ)もありな
ん
○幸運の小兒 釜石町に於(おい)て最も惨状を極(きは)めたる字只越町に
渋谷賢之助と云(い)へる海産商あり其|弟(おとゝ)なる七歳の小兒は祖母に抱
かれて臥し居(を)りしに突然海嘯に襲(おそ)はれて一家十二人家産と共に
押流されニ百五六十間もあるべき西方の田畑(たんぼ)に打揚(うちあげ)げられたり
翌朝に至(いた)りて此小兒は眼の覚めたらんが如き有様にて破屋(やぶれや)の中
より這ひ出(い)でしを助(たす)けられしが他の家族十一人は尽(こと〴〵)く溺死(できし)せ
りと云ふ去(さ)りとは幸運なる小兒(せうに)かな
【左頁上段】
○幸運の一家 後藤亀之助氏方は居宅|土蔵(どぞう)共(とも)に破壊せられて
二十四人の家族(かぞく)二階の下に敷(し)かれて潮水を含みたれども唯だ母
親一人|負傷(ふしやう)せるのみにて其他は少しの怪我(けが)もなく尽く救ひ出さ
れしと云ふ
○奇特の米商 今回の大珍事を奇貨(きくわ)として不当(ふたう)の私利を網せ
んとするの奸商(かんしやう)多きが中に是れは又た珍(めづ)らしき奇特者なり西閉
伊郡上郷村の米商細川熊吉なるものは此度の災害を聞くや同胞
窮厄を救(すく)はん為め自宅より夜通しに米穀(べいこく)を釜石に運(はこ)び来り海嘯
以前よりも価格(かゝく)を引下げて販売し又大工の不足を憾(うら)み自村より
十二三名の大工を派遣(はけん)して一時の急を救へりと実に感ずべき行
為にこそ
○憫然の小兒 釜石町字只越町に太田亀三郎と云(い)へる人(ひと)あり
性質律儀挙止快活にして侠気(けうき)に富めるを以て衆人に称挙(しょうきょ)せられ
推(お)されて同組消防長となりぬ妻(つま)との間にニ男二女ありて楽のし
き月日を送(おく)り居りしが憫(あは)れや今回の海嘯の為(た)めに其身を始め長
男長女とも無惨(むざん)にも海中の藻屑(もくず)と化し其死体さへ今に発見され
ず危(あやう)くも生残りしは其妻と次女 (《割書:十 | 二》)次男 (《割書:五 | つ》)の三名なるか妻は
不運(ふうん)にも身に傷を受けて目下赤十字社病院に通(かよ)ひ治療(ちれう)を受けつ
ゝありと幼なき次男は父の死(し)せしことを知(し)らねば病牀なる母に向
て「父(とゝ)は何故|在(あ)らざるか、父は何(いづ)れに行きしか、父(とゝ)の処に連れ
て行(ゆ)けよと」迫るにぞ母親はそれとも言(い)ひ兼(か)ねて程能く慰論(なだ)め
置けども食事の度毎に「父(とゝ)が居(お)らねば兒(ぼう)は飯は食(た)べぬ父を呼ん
で呉(く)れ」と言ひ様食|箸(はし)を取(と)つて投付(なげつ)けヨヽと斗りに泣き出すに
母親は不憫(ふびん)さ堪(た)へやらず声を放(はなつ)て嘆(なげ)き悲(かな)しむさま哀れと云ふも
中々に愚(おろ)かなり
○鈴子地方の人士も周章狼狽一時全く途方に迷ひしが釜石工場
の監督(かんとく)横山某は殊勝にも篝火(かうくわ)を揚ぐるの急を知り緒人を叱(しつ)して
【左頁下段】
数ヶ所に火(ひ)を点ぜしめたるに辛ふじて屋根に縋(すが)り或は板子に取
付き居(を)りたるもの篝火を便(たより)に漂着し来り為に一命を拾ひたるも
の百余名なりしと云ふ
○鉄長組(てつちやうぐみ)大阪出張所員辻島宗助氏は大海嘯の当時(たうじ)釜石鉱山に出
張中なりしが幸(さいは)ひに危難(きなん)を免かれ翌十六日|帰坂(きはん)の途(と)に上(のぼ)り東京
に立寄(たちよ)れる時或人に語りたる実話を聞き得たれば左に掲ぐ
初めて海嘯を見たる人 六月十五日は昼(ひる)より降雨(かうう)あり薄暮頃
四五|回(くわい)の地震(ぢしん)さへありて海上一|面(めん)に墨を流したる如(ごと)く午後八時
頃と覚(お)ほしき頃大砲の爆発(ばくはつ)したる如き音を聞(き)きたるが折りしも
釜石鉱山|所有船(しょいうせん)の船長土井某は海岸(かいがん)に出で居りしに濃霧(のうむ)朦朧(もうろう)と
立籠(たちこ)めたる海面の一層|暗黒(あんこく)となりて見るも恐(おそ)ろしき浪柱の現は
るゝを認(みと)めしかばスワ海嘯よとて遁出(にげい)でんとせしに此時|早(はや)く彼
時|遅(おそ)く山なす大波ドツトばかりに押寄せ来(きた)りて船長をも巻き去
らんとせしにぞ船長は咄嗟(とっさ)の間に流れ来れる材木に縋(すが)りて波の
まに〳〵|漂(たゞよ)ひて小高き方へ泳(およ)ぎ行き辛(から)うじて一命を拾ひ得たり
と云ふ材木(ざいもく)のお蔭にて命(いのち)を拾ひたるは此船長のみならず一|本(ぽん)の
松の木(き)にて十人の命を助(たす)かりたるものもありと
○海嘯の来りたる区域は 海岸(かいがん)ゟ十二三町にて三之橋際|迄(まで)な
り海嘯の来(きた)りたる時は大砲(たいはう)の如き音(おと)の聞えしより少しく後(のち)にし
て若(も)し此音を聞きたる時(とき)海嘯の来りたるを認(みと)むれば或は遁れ得
たるやも計(はか)られず海嘯の地面(ぢめん)を襲ひたる際は頗る激甚(げきじん)にして二
分間も経(た)たぬ間に釜石全村は流亡(りうはう)し数千の死傷者を出したりき
現(げん)に釜石町長服部保受氏は其|夜(よ)四人の友人と会談(くわいだん)しつゝありし
に海嘯の来(きた)りたりと聞きて一人の者と共(とも)に急ぎ二階より飛降(とびお)り
高台(かうだい)の方へ遁れたるに他の二人は然(し)かせずして階級(はしごだん)を降りたる
ため遂(つゐ)に逆巻く波の間に葬(はふむ)られたりと海嘯の来りたるは都合三
度(ど)にして第一の者|最(もつと)も甚だしく次第に弱(よわ)くなりて翌日の午前三