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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - ページ 18

ページ: 18

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【右頁上段】 無事なるを得たり ○盲と聾  盲(めくら)と聾(つんぼ)には一人の溺死者を見ず蓋(けだ)し不具者は不 具者だけに平生(へいせい)の用心|周到(しうたう)なる結果なりと或は然らん ○虚空(こくう)を攫(つか)んで死す  海嘯の翌日累々たりし死体(したい)の中にて最 も惨凄(ざんせい)を極めたるは一婦人の小兒(せうに)を負(お)ひたるまゝ仰向けに仆れ 幵(そ)が上(うへ)に角材の横(よこた)はりて咽喉を締(しめ)つゝあり婦人は虚空(こくう)を攫(つか)んで 白眼(はくがん)天を睨むる状二目と見られず無残(むざん)といふも愚(おろ)かなり ○無量の功徳(くどく)  大槌町の寺院住職渡邊耕山と云るは凶災(きやうさい)当夜 其の方丈(はうじやう)の間にあり折(おり)から町方にて物騒(ものさわ)がしく聞ゆる物音に何 事ならずと跳ね起きて東向(ひがしむき)なる庫裏の障子を引明(ひきあ)け見るに早く も第一の激波(げきは)勢込んで根板四尺以上を浸(した)すと均(ひと)しく向河原の各 家ミリ〳〵バリ〳〵と凄(すさま)じき音(おと)して境内(けいだい)近く漂流し来る有様(ありさま)此 処彼処に老弱男女(らうにやくなんにょ)声を放て悲鳴(ひめい)号泣助けを求(もと)めて急(きう)なり同氏(どうし)は それと言ひざま先づ小僧(こぞう)の耕雲といへるを呼び大蝋燭を寺内(じない)東 北の縁側(えんがは)に五六十挺を鴨居|焦(こが)るゝ計りに点火(てんくわ)させて遭難者の目 当てとなるべき灯台に代へ己は直に赤裸(あかはだか)となりて勝手覚へし畑 道に出で胸切(むねき)りなる潮水を打越(うちこ)へ行きて潰家の中に挿まれて身 動きもならず居たる老婆或は太(いた)く悪水(あくすゐ)を呑みて僅に片廡(かたびさし)に取付 き気息(きそく)奄々(ゑん〳〵)たる老爺或は場所不案内の為めに凹処(あうしょ)に足を踏外(ふみはづ)し てガブ〳〵|水(みづ)を呑んで苦み居る婦人小兒等を一人|毎(ごと)に脊負(せお)つて 来ては寺内(じない)に入れ入れては出出ては入れ瞬(またゝ)く間(ま)に二十人余を救 ひ揚げ尚ほ己れは寺の北(きた)裏手(うらて)へと取つて返へし其|周囲(しうゐ)の垣根に 懸り居たる小供四人|公葬地(こうさうち)山岸に疲労(ひろう)してノタクリ居たる男女(なんにょ) 六七人|及(およ)び林森坊といへる按摩(あんま)子供を高く肩(かた)の上(うへ)に背負ひ其脇(そのわき) に妻のみわ(是も盲目(まうまく)なり)背に乳呑兒(ちのみご)を脊負ひ右の手に十二 歳計りの子供を携(たづさ)へ方角知らず手のみ掻捜(かきさぐ)りて悲鳴し居たるを も救(すく)ひ揚げ軈て同氏は一同を引纏(ひきまと)めて寺へ連れ帰らんとせしが 【右頁下段】 石塔道に横りて危険(きけん)なれ雁繋ぎに一人宛|後(うしろ)へ列(なら)べ己れは提灯(てうちん)を 高(たか)く揚(かゝ)げて先導を為し寺に入りて大にタキ火(び)を燃(も)やして一同の 身体を煖(あたゝ)め又は衣類を貸して之(これ)に着(ちゃく)せしめ手厚く介抱(かいほう)を為した りとぞ尚同氏は凶変(きやうへん)の翌日より寺門(じもん)に運び来る屍骸に対(たい)し一々 引導を施し七日目には供養塔(くやうたふ)を建てゝ餓鬼を供養せりとぞ ○老女物語  海嘯の翌朝(よくてう)大槌八日町を六十前後の老婆(らうば)ユモジ 一枚にてぶる〳〵|慄(ふる)へながらビショ濡(ぬれ)になりたる十二歳許の孫(まご) の手を引き来るに此方(こなた)よりも亦|面部(めんぶ)衣類泥だらけになり足は少 しく怪我(けが)をせしものと見へてビッコを引きたる五十|前後(ぜんご)の婆と ハタと出遇(であ)ひ両人互にオヤ能くも生て居ましたなと言ひつゝ泣 き出したり孫を連れたる老婆(らうば)涙ふき敢へず彼の時(とき)海嘯来る音は 雷様(かみなりさま)のやうに聞(きこ)えたから私は驚いて一番|少(ちいさ)い孫を嫁に負はせて から此孫と一所になつて永らく病気(びやうき)て寝て居る息子(せがれ)を呼起(よびおこ)し外 に連れ出さうとすると山のやうに波(なみ)がかぶさつて来て嫁(よめ)は孫と 共に流(なが)れ出し息子と此孫とは見へなくなりそれから私(わたし)も何処と もなく流されて行つたところ幸ひ或る家(いへ)の屋根(やね)に引懸(ひきか〻)り漸々命 を助(たす)かつたれど途方(とほう)に暮れて屋根の上で只泣てばつかり居る折 から直ぐに脇(わき)の屋根に子供の声でお婆(ばあ)さん〳〵と呼ぶ者がある から近寄(ちかよつ)て見ると此孫が其所へ流れ来たを幸ひ四日町の人が来 て救て呉れ二人共|不思儀(ふしぎ)に命(いのち)が助かりましたといへば此方の婆 も泥水(どろみづ)にしみたる袖|引絞(ひきしぼ)りながら私の家は直(じき)海の傍(かたは)らなれば水 は早くも乗込(のりこん)で逃るにも逃られず家内(かない)七人残らず死果て私一人 不思儀に助ることは助かつたがせめて孫の死骸(しがい)一目なりと見た いものと所々を捜(さが)して歩(ある)いたところ直(じき)彼所に孫と嫁(よめ)が手と手を 握(にぎ)り合ふて死で居ましたが私は昨日孫の頭(あたま)を芥子(けし)坊主(ぼうず)にスッタ のが泥(どろ)も付かず其侭で居る可愛(かあゆ)さ不憫(ふびん)さと又も両人一度に泣出(なきいだ) したりと 【左頁上段】 ○死相(しさう)のいろ〳〵  大槌町にて一|両日間(りやうじつかん)を経たる死体の形相 を見るに大人(おとな)の如きは枯痩(こさう)し或は水腫(みづばれ)紫斑(しはん)を見(あら)はせど二三才よ り五六才の小兒(せうに)に至ては痩(やせ)もせず膨れもせず宛然(さながら)生時の如し這(こ) は大人(おとな)の如く藻掻き苦んで潮水(てうすゐ)を呑むこと少く水を被(かうむ)ると同時 に窒息(ちつそく)すればなり而して又四五日|乃至(ないし)一週日を経過(けいくわ)したる死体 は眼球(がんきう)突起(とつき)全身潰爛して容易に其誰(そのだれ)たるを知るべからず只|衣類(いるゐ) 若しくは所持品等にて判別(はんべつ)するなり又溺死者に限り死後遽に顎 鬚|延長(えんちやう)すと云へり其|実例(じつれい)を挙ぐれば凶変後六日目のことなりし が上田某の死体(したい)を発見(はつけん)し之を遺族者に一見せしめたるに遺族者(ゐぞくしや) 一|瞥(べつ)して這(こ)は人相稍や某に似たれど某は海嘯の起(おこ)る四時間|前(まへ)ア ゴ鬚(ひげ)を剃り落したるに斯の鬚の発生(はつせい)し居るこそ不審(いぶか)しけれど怪 みつゝ|死骸(しがい)を引取る様子(やうす)もなかりしが既にして去る道理あること を聞き始めて其某たるを知ると同時(どうじ)にワツと計(ばか)り泣出したりと 云ふ海嘯の翌日累々として夥多(くわた)なる死骸の中にも最も凄絶(せいぜつ)を極 めたるは一婦人の小兒を背負(せお)ひたる侭|仰向(あふむ)けに仆(たふ)れ幵が上に角(かく) 材(ざい)の横(よこた)はりて咽喉(いんこう)をシメつゝあり婦人は虚空を握(つか)んで白眼天を 睨むる状二目と見得(みえ)られず四苦八苦もだへ苦みし当時(たうじ)の有様(ありさま)思 遣られて哀(あはれ)なり ○大皷を叩(たゝ)きながら死す  大槌町大字吉里吉里は従来(じゆうらい)法華信 者の多(おほ)き所にて海嘯の当夜|信者(しんじゃ)の一人芳賀某は難を山路(やまぢ)に避け んともせず爰ぞ古来(こらい)例(ため)しのある妙法(めうはふ)の功力(くりき)を顕はし玉へと団扇 太皷を叩きつゝ南無妙法蓮華経々々と叫(さけ)びしが固(もと)より然る事の あるべき筈(はず)なければ遠く海中(かいちう)へ押流され遂に惨死(ざんし)せりといふ ○日蓮の像(ぞう)を罵倒(ばたう)す  大槌町大字安渡の越田徳四郎も亦法華 信者(しんじゃ)なるが海嘯の為め徳四郎一人を除(のぞ)くの外|家内(かない)八人悉く海底(かいてい) の怨鬼(えんき)となれり其後数日を経て徳四郎は家族(かぞく)の屍体(したい)を捜索せん ものと浜辺を徘徊(はいくわい)する折柄偶ま我家に安置(あんち)せし日蓮の木像漂着 【左頁下段】 し来れり斯くと見るや徳四郎は血相(けつそう)変へ木像取て足下に蹈(ふま)へ汝 多年(たねん)我が一家を惑はしながら遂(つひ)に一度の加護を与(あた)へず而かもム ザ〳〵八人を殺(ころ)すとは何事ぞ一家の怨敵(おんてき)思ひ知れと口を極めて 罵(のゝし)りながら木像(もくぞう)に大石を括(くゝ)り付け海底深く沈めしとなん ○無残なる死骸(しがい)の一団  古里々々の或家(あるいへ)にては海嘯の夜|端午(たんご) の祝宴(しゅくえん)を開き大勢打寄りて同地に行はるゝ|擂木舞(すりこぎまひ)を為し居たる に無残や一人残らず惨殺(ざんさつ)され日を経て其居宅の跡(あと)より擂木及三 味線の撥(ばち)を手にせる男女|数多(あまた)の死骸を発見(はっけん)せし由|酸鼻(さんび)の極とい ふべし     ●同県東閉伊郡      ●船越村 船越村は船越湾と山田湾とに周囲(しうゐ)を包(つゝ)まれ居れる村落(そんらく)なれば其 被害|最(もつと)も大にして田老村と相并(あひなら)びて東閉伊郡第一の被害地(ひがいち)たり 総戸数四百五十四戸の内|流失(りうしつ)せるもの三百六十七戸|人口(じんこう)二千二 百八十二人の内|溺死(できし)せるもの九百三十六人にして重傷を負(お)へる 者七十名、軽傷者百九十二名|全家(ぜんか)死滅して家名の断絶(だんぜつ)せるもの 六十一|老幼(らうえう)のみ生残(いきのこ)りて生活の途なきもの三十戸あり尚ほ此外(このほか) に小学校、役場、巡査駐在所は流亡し寺院(じゐん)は潰頽(くわいたい)せしが死亡者 の割合(わりあひ)に少き所以(ゆえん)のものは同村は今を距る四十一|年前(ねんぜん)に大海嘯 あり其害の及(およ)ぶ所|今回(こんくわい)の如く甚だしからざりしと雖も数戸(すうこ)の破 壊家屋を生じ浸水(しんすゐ)の害を受けたる事あるを以て経験(けいけん)ある父老(ふろう)は 午後六時過|雷鳴(らいめい)の如き響きあるや否や海嘯の前兆(ぜんてう)ならんかと早 くも逃支度を為し壮幼(さうえう)亦之に従て小山に登(のぼ)りたるもの多かりしに 由るなり本村(ほんそん)は元来漁業を以て其日を送るものゝみにて田畑と ては殆(ほと)んど之れなく此地方中の貧村(ひんそん)にてありしものみならず家具(かぐ) 漁具等も一切流失したる事なれば生存者(せいぞんしゃ)の多き丈けに寧(むし)ろ道途 に呻吟(しんぎん)するもの多き訳(わけ)なりと