翻刻
【右頁上段】
●宮古町
○宮古湾内の海嘯 は午後八時三十分に起り前後(ぜんご)十二回の激
浪ありて此間一時間余に亘(わた)る最初(さいしょ)の浪は高さ五丈余に上り第二
回は之に次ぎ漸次(ぜんじ)に低(ひく)かりしも最後の浪猶ほ平時(へいじ)には見るべか
らずと第一回目に海上(かいじやう)に押流(おしなが)されたるもの数百人声を限りに号
泣して救を求めたるも第二回の浪至るや号泣(がうきふ)の声全く消失(きえう)せて
唯|苳々(とう〳〵)たる声ありしのみなりといふ
○古老海嘯の前兆(ぜんてう)を知る 本年三月に湾内(わんない)の沿岸到る処鰻多
くニ百余尾を捕獲(ほくわく)したるもの尠なからず甚だしきは鳥(とり)さへ沙を
掘りて之を啄(ついば)みたりと古老之を見て海嘯の必ず襲来(しふらい)せんことを
予言(よげん)したるも一人の信を措くものなかりしと又|古老(ころう)は当日午後
七時頃|海潮(かいてう)俄かにニ百余間 (平時は五六間)退(しりぞ)きたるを見て海嘯の
数刻後(すうこくご)に迫まれるを知り予め警戒(けいかい)したるも普(あまね)く人に告ぐるの暇
なかりしは今に於て遺憾(ゐかん)極まりなしと言ひ居れりと
○海嘯の前兆(ぜんてう) 宮古町にては去十四日より三十|尋(ひろ)の深さの堀
井戸悉く濁(にご)りしのみか井戸により其|水(みづ)白(しろ)く若くは赤く変色(へんしょく)し人
々奇異の思を為し居れりと固(もと)より斯る大海嘯のあるべしとも考
へ及ばず又十五日 (正午十二時)の干潮(かんてう)は平日の干潮に比し其|減(げん)
退(たい)せし事|非常(ひじやう)にて曾て見えざるの島又は岩迄(いはまで)現はれたれば海浜
に居たる小供等(こどもら)は何心なく其間に戯(たはむ)れ居たり是は是れ大海嘯の
前兆(ぜんてう)なるに相違なきも考慮(かうりょ)の到らずして端(はし)なく大惨禍を沿海に
被らしめしは実に大遺憾(だいゐかん)の次第(しだい)といふ可へし
○人(ひと)を見て泣出(なきいだ)す 宮古|警察(けいさつ)の巡査徳田氏|当夜(たうや)囚人(しうじん)監守のた
め監獄(かんごく)に在り変(へん)を聞(き)き馳(は)せて鍬ヶ崎に到(いた)るや二|階屋(かいや)平屋船舶ゴ
タ〳〵になり通行(つうかう)すべからず因で屋蓋(をくがい)に飛上り屋根伝(やねづた)ひに二三
丁走り一|貸座敷(かしざしき)の窓より二|階(かい)に飛入る時(とき)に娼妓(しやうぎ)一名戸主の婦(ふ)一
名(めい)ボンヤリ座してアツケに取られたるが如(ごと)くなりしが氏(し)の来(きた)る
【右頁下段】
を見(み)嬉(うれ)し泣(な)きに泣出したりと
○巡査(じゆんさ)の働き 宮古警察署長以下皆|良(よ)く其職を尽(つく)せるは人民
の感賞(かんしやう)する所鍬ヶ崎に下宿(げしゅく)したる非番(ひばん)二|人(にん)物音(ものおと)に驚き正服を着(つ)
けんとするハヤ水(みづ)は床に上る急(きふ)に二|階(かい)に上りて着装し屋根|伝(つた)
ひに走(はし)り人(ひと)を救ふこと幾人(いくにん)なるを知らず翌日(よくじつ)に至り人(ひと)の恩を謝
する者(もの)多(おほ)きを以(もつ)て自から驚(おどろ)きたりと云(い)ふ
○不幸の娘 宮古の駒井吉三郎の妻は田の浜の黒沢六蔵の妹
なり夫婦(ふうふ)の中(なか)に子一人ありカヲと云(い)ふ共(とも)に田(た)の浜(はま)に往(ゆ)き生活(せいくわつ)す
当夜(たうや)妻は子を負(を)ひ材木(ざいもく)に推伏せらる吉三郎六蔵|共(とも)に之(これ)を助(たす)けん
とせし処「カヲはとても助からないし妾もコンナにされては助
からないオ前達(まいたち)二人は助(たす)かれるものなら逃(に)げて下され」と泣(な)く
両人(れうにん)泣(な)きながら材木を取(と)り除(のぞ)けんとする中(うち)第(だい)二の高浪(たかなみ)来(きた)り遂に
妻(つま)は佛名を唱(とな)へつゝ波浪中に没せりと
○決別して死す 宮古の字|旧舘(きうくわん)に尾本與兵衛といふあり材
木に寄(よ)りて推流(おしなが)され新晴橋に至り救助(きうぢよ)を乞ふ橋の上の人「今(いま)少
し泳(およ)げ左すれば縄(なは)を下げるからと」云ふに與兵衛は苦(くる)しき声(こえ)を
揚(あ)げ「とても手足利かぬ故(ゆゑ)泳(およ)ぐこと能(あた)はず後(あと)を宜(よろ)しく頼(たの)むオレ
は尾本與兵衛なり」とて其まゝ|波浪(なみ)に没入(ぼつにふ)せりと
○癲狂者無事 宮古|付近(ふきん)の被害地に二三の癲狂者(てんきやうしや)ありしが是(これ)
等(ら)も亦(また)盲者と同じく始終|木材(もくざい)に由(よ)りて悉く無事(むじ)なるを得(え)たりと
いふ
○挨拶が此世の終り 帆前船(ほまへせん)は宮古(みやこ)の平山直次郎なるものゝ
所有(しょいう)に属し直次郎の父母は其(その)進水式に列(れつ)せんとして当(たう)日午後八
時頃(じごろ)同所に赴き一|同(どう)に挨拶(あいさつ)するや否や激浪(げきらう)の為め捲|去(さ)られて惨
死を遂(と)げぬと
●鍬ヶ崎村
○篤志家 鍬ヶ崎町の鈴木甚左衛|門(もん)と云(い)へるは同県(どうけん)有名の篤
【左頁挿絵二枚】
【上題】
釜石町海嘯被害後の図
【下題】
溺死者追吊法会の図