みんなで翻刻ver1

コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - ページ 24

ページ: 24

翻刻

【上段】 片袖(かたそで)のみぞ片見(かたみ)となりぬ ○遺骸(ゐがい)を惜(おす)む兵士の心  普代村の大田辺に坂下某及高浜栄太 郎とて共(とも)に二師団兵にして台湾|帰(かへ)りの者あり入浴中(にうよくちう)大砲の音を 聞(き)き「必定軍艦の空砲(くうはう)演習ならん一見せばや」と着物を着て山 に上り四方を見回せしも何(なん)のこともなしと思(おも)ふ間に逆捲く浪の 起るを見て「死(し)んでも死骸は無(な)くすまいと」両人共|手早(てはや)く帯を 解き木に身体(しんたい)を括りて待(ま)ちしに山までは来らず為(た)めに不測の変(へん) を免れたり普代は三十|戸(こ)もありしが一戸の外流亡せり     ●同県南九戸郡      ●野田村 ○野田村  は大字野田|玉川(たまがは)の二より成(な)り農三漁七を以て生計(せいけい) を立(た)つ久慈町を距(さ)る南の方三里南端は北閉伊郡の普代村に連(つらな)る 全村の戸数(こすう)四百五十其内流亡破壊せし者ニ百七十九戸、浸水五 十三戸にして海嘯(つなみ)の害を免(まぬか)れしは海蔵院と称する寺院(じゐん)付近(ふきん)の高 地に過(す)ぎず而も大字野田は半潰二戸を余して殆ど全滅の惨況(さんきやう)に 陥(おちい)り横死を遂たる者極て多し船舶(せんぱく)は百四十四|艘(さう)流亡(りうばう)破壊(はくわい)して一 艘(さう)だも止めず五十一町歩の耕地(かうち)は激浪(げきらう)の為め洗ひ去られて収穫(しうくわく) 皆無の姿(すがた)となりぬ ○無数の怪火  野田(のだ)駐在所(ちうざいしょ)の巡査遊佐左仲氏は海嘯の当夜(たうや)所 轄部内の宇野村を巡廻(じゅんくわい)し午後八時二十分頃駐在所を距(さ)る十|丁許(ちやうばかり) の所まで帰(かへ)りしに海上(かいじやう)異常の鳴動を聞き怪(あやし)みながら野田に近く や海潮(かいてう)は曾て見しことなき高処まで浸入(しんにふ)せり真逆に海嘯と思は ざれば暫(しば)し佇み考ふる内に大さ提灯(ちやうちん)程の怪火其数幾十となく野 田の民家の在(あ)る所より背後(はいご)の山に懸けて高低に幻光(げんくわう)を発したれ ば愈々(いよ〳〵)訝(いぶか)り怪みつゝ是れこそ正しく世俗(せぞく)に伝ふる狐か狸の悪戯(いたづら) なるべしと其(その)まゝ進み往きけるに不思議(ふしぎ)々々々(〳〵)四方に家屋の倒(たう) 壊(くわい)する音最と物凄く聞え叫喚(けうくわん)救(すくひ)を求むるの声耳に徹(てつ)したれば 【下段】 扨(さて)は海嘯にてもあらんかと正に野田に入(い)りし頃は全体(ぜんたい)破壊の惨 況に陥(おちい)り氏の妻女と二人の愛児(あいじ)とは無残の最期(さいご)を遂げたりとな ん跡(あと)にて調査すれば怪火(あやしび)の見えたる処は被害(ひがい)の部分に止(とゞま)りて怪 火なき高処(かうしょ)の民家は何等の異状なかりしとぞ ○書類泥中より出づ  村役場は半潰(はんくわい)の惨状に陥り公(おほや)けの簿書 類何れにか紛失(ふんしつ)せしが人夫を促(うなが)して取片付中泥の中(なか)より発見し 僅かに無事(ぶじ)なるを得たりといふ ○小学校の流失  同地(どうち)小学校の教員某は当夜(たうや)久慈町に在りし 講習(かうしふ)に臨みし為め生命(せいめい)を全うするを得(え)たりと雖も家に在りし妻 女の身を以(もつ)て免(のが)れし外其|愛児(あいじ)は横死を遂(とげ)たり ○玉川の岩崩る  野田(のだ)の玉川は野田の南一里に在(あ)り河幅八九 間(けん)の流(なが)れなり其入口には二個の巨巌(きょがん)屹立(きつりつ)して大に雅致(がち)ある所な りしが一は自然(しぜん)に波の為めに磨滅(まめつ)せられ一|個(こ)のみ其形を留めた りしも今回の海嘯に逢(あ)ふて是亦全く崩壊(ほうくわい)に帰(き)せり噫(あゝ) ○助けられて安心して死す  野田の一|女子(ぢよし)折重(をりかさ)なりたる材木 の下に圧(あつ)せられ声を限りに救を求(もと)め居(を)りしが一たび救ひ出さる ゝや気を打ちし事の甚(はなは)だしかりしと見え安心すると間もなく死 去(きょ)したりといふ ○宮本村長の惨話  同村長岩本武慈太氏亦同夜遭難者の一人 にして氏は津浪の叫喚(けうくわん)を聞き早くも家族を促し最愛の二小兒を 小腕に抱き戸外(こぐわい)に出るや激浪(げきらう)の為に足を払はれ遂に海上に漂ひ 浮(う)きつ沈(しづ)みつ苦悶の際何時しか愛児(あいじ)を奪はれ身に数ヶ所の傷を 負ひたりしも再度怒|濤(たう)に押し揚げられ辛くも岸(きし)に取り付き万死 の中(なか)に一生を得たり殊に尤(もつと)も悲惨なるは同氏の妻某が折角(せつかく)初度 の海嘯を免れ高地(こうち)に駆け上りしも跡に残せし小女(せうぢよ)の身の上心元 なく我家(わがや)に回り其安否を尋ねばやと赴き行く途中(とちう)端なく再度の 襲来に遭ひ遂に空しく溺死(できし)しぬと然るに天幸(てんかう)にも尋ねんと欲せ