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【右頁上段】
又(また)同郡(どうぐん)に島の越といへる海岸(かいがん)を距(さ)る三四十間|先(さき)にありし宇利島
は南方(なんぽう)に傾斜して島(しま)の根突出せり宇利|島(しま)より北方(ほくはう)に在りしタラ
ヒ島は半ばは欠(か)けて半は北方(ほくほう)ニ百間許り飛去(とびさり)て見ゆ宇利島を離
るゝ五六百間|沖合(おきあひ)に当り陸地(りくち)より臨(のぞ)めば長さ七八間もあらむと
覚(おぼ)しき島(しま)あり此島|転覆(てんぷく)して上下|位置(ゐち)を異にせりとぞ
○船舶漁具 にして存せばよしや家屋(かをく)器物を絶滅せられたり
とて左(さ)まで嘆くを要(えう)せずとは被害各地の声なり由来釜石以北一
帯の沿岸(えんがん)は鮪(しび)、鯣(するめ)、鰹位(かつを)、鮑(あはび)、鰈(かれい)の魚族群集しさながら人(ひと)の来(きた)り
て漁するを待つあるに似たるの状態(じやうたい)にて年々の収益亦頗る巨額(きょがく)
に達(たつ)し漁業税三万有余円を納付(なふす)したる地方(ちほう)なり彼の無情なる大(だい)
海嘯(かいせう)は船舶、漁具、民屋、建物、財物を流亡破壊し去り彼等の
中折角万死の中に一生を得たる幸運兒も命(いのち)の親と頼(たの)む船舶漁具
を失(うしな)ふに於ては到底自活の途(みち)なしと天を仰で流涕(りうてい)し居れりと云
ふ
○夜行するものなし 幾万の死者(しゝゃ)を数分時に出(いだ)せし事なれば
海岸(かいがん)一面には亡者(まうじゃ)出ると称し壮丁(さうてい)と雖も夜行(やかう)するものなし若(も)し
余儀(よぎ)なき要用にあるありて数了(すちやう)の外に人を派(は)せんとせば幾(いく)十倍
の賃金を払(はら)ふて三四名以上を傭(やと)ふに非れば能(あた)はず怯(けよ)に似たりと
雖も彼等の心事(しんじ)寧(むし)ろ憫(あわれ)むべき者あるなり
○裸体の者多し 死屍(しゝ)を検(けん)するに裸体(らたい)のもの半ば以上を占(し)む
激浪(げきらう)の為(た)め衣服(いふく)を剥去られしもの歟毛髪抜け皮膚(ひふ)悉ぐ剥落せる
もの多きを以て親子(おやこ)兄弟と雖も之を見別ること能(あた)はず故に衣服
の付着(ふちゃく)し居りて其|縞柄(しまがら)を見識れる人の生存するに非れば何人の
死屍(しゝ)たるや判明(はんめい)するものなしと
○人肉を好む魚 海栗(かぜ)と云ふ魚介ありて到(いたつ)て人肉を好むよし
なるが近頃(ちかごろ)処々の海岸に漂浮(へうふ)する死体(したい)には「カゼ」一面に吸(す)ひ着
て全身真黒なるあり又近頃|引揚(ひきあ)ぐる分に毛髪(もうはつ)一本だに見へざる
【右頁下段】
あり是(こ)れ亦魚類に喰ひ去られしならんと云ふ
○死体発掘の経験 人足が死体(したい)を発見するに始(はじめ)の中(うち)は何(なん)の見
当もなく堆(うづたか)き雑具の間を掘り出(いだ)せるより有(あ)ることもあり無(な)き時
もありて為(ため)に時間を徒費(とひ)して取形付(とりかたづけ)捗(はか)々しからざりしが近頃は
経験(けいけん)熟し来りて掘(ほ)る処必ず死体(したい)ありと云ふ其(そ)は水を流(なが)すに其上
に油を浮(うか)ぶ之れを徴(ちやう)となすと
○喪家の犬死屍を争ひ食ふ 各(かく)被害地海|浜(ひん)は日々(ひゞ)死体(したい)の漂着(へうちやく)
せざるなく男女の識別(しきべつ)さへ出来難き迄(まで)に腐爛(ふらん)し居る有様見るに
忍(しの)びず喪家(さうか)の群犬は食なきに苦(くるし)み日夜海辺を駈(か)けめぐりて死体(したい)
を捜(さが)し争ふて之(これ)を食ひ人の之(これ)を見て追はんとするあれば犬(いぬ)は却
て人(ひと)に向ひ来り其|勢(いきほ)ひ当る可らざるにぞ之(これ)を退治せざれば遺民(ゐみん)
の危険(きけん)は云ふべからずとなり
○両三年は漁業中止せん 漁夫(ぎょふ)の十分の九は溺死(できし)しけるが此
一分は生存せるに拘(かゝ)はらず此処両三年間は漁業(ぎょげふ)を営まざるの考
へなりと漁夫等(ぎょふら)の言によれば父兄(ふけい)妻子(さいし)皆海底の藻屑となれり自
分等|仮令(たと)ひ餓(う)ゑて死(し)すとも父兄妻子の肉(にく)を啖(くら)へる魚介を採って
生計を営むの惨酷(さんこく)なる能はずと
○船舶被害 岩手県内の漁船(ぎょせん)は九分通り破壊(はくわい)せられ偶(たま)々船体
を存(そん)するものも多少(たせう)の損傷あらざるなし人皆|飯椀(めしわん)を無くなした
りといひ居(を)れり所謂(いはゆる)飯椀の数は地引網船建網船|小漁船(せうぎょせん)を合し六
千八十一隻 (二十六年末)其|後(ご)本年(ほんねん)まで三割の増加として約八千
隻一隻三十円|平均(へいきん)にて二十四五万円の損害(そんがひ)に当るが如し
○製塩場の被害 岩手全県の竈数約六百、産額二十四五万石
に達(たつ)し是(こ)れ皆(みな)一朝|流亡(りうぼう)して痕跡を存(そん)せず
○義侠なる哉 一の関(せき)の人(ひと)にして目下気仙郡世田|前(まへ)に寄留(きりう)せ
る開業医(かいぎやうい)佐々木寛治氏は事変を聞くや否(いなや)直に薬品其他を携へ綾
里村に行き仮病室(かりびょうしつ)の主任医となり居れりと世(よ)には他(た)の勧誘さへ
【左頁挿絵二枚】
【上題】
宮古下浜被害後惨況の図
【下題】
吉浜村にて海嘯の際大石二分して缺落たるの図