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【右頁上段】
来り地上(ちじやう)にペタと座りて打鳴(うちなら)しつゝ終日海上を望(のぞ)みて南無阿弥
陀仏〳〵
○生者生を希はず 帰(かへ)るに家なく食(くら)ふに米なく着(き)るに衣なく
頼(よ)るに人なし此劇災仮令療せられたりとて何の甲斐(かひ)かあるべき
なまじい生(い)き長(なが)らえて人の助(たす)けを仰がんよりは寧(むし)ろ死する方よ
からめとて嘆(なげ)くもあり或は負傷(ふしやう)して床に就(つ)き乍らつら〳〵と行
末の覚束(おぼつか)なきことを思(おも)ふて病を増して之が為め遂(つひ)に死(し)に至る者も少
なからずといふ
○遭難と挿秧 一方には死屍|累々(るゐ〳〵)として釜瓦乱堆し一方には
少女(せうぢょ)田にかゞみて苗を挿む之を詰(なじ)る者あれば答(こた)へて曰死者如何
ともすべきなし然(しか)れども生者(せいしや)は明日の事を計らざるべからず妾
家を失ふて旦夕の儲(たくは)へなし人の惨を哀(かなし)まざるにあらず妾の性命
を如何にせむと情(じやう)憐(あはれ)むべきなり
○死体(したい)漂着 死屍(しゝ)は風次第にて処々に漂着す或(あるひ)は一つ或は二
つ時として七つ八つ一時に波打際(なみうちぎは)に横はる男女老幼|争(あらそ)ひて走り
行(ゆ)き我子か我親かと腐爛(ふらん)臭気(しうき)あるをも顧みず争(あらそ)ひ索め居れり
と
○牛馬の死屍 何(いづ)れも十二分に張り太(ふと)り肛門広がり四足緊張
し眼(め)を剥出(むきだ)し睾丸(かうぐわん)膨(ふく)れて小樽に似たる者ブラリ〳〵と波打(なみうち)際に
在(あ)り鳶鴉(とびからす)時を得て啄(ついば)み居れりと
○魚油を呑む 青森県|被害地(ひがいち)の民は皆漁業に従事し海嘯(つなみ)の五
六日|前(まへ)は連日鰯の大漁あること百廿余年来|曾(かつ)て見し事なき程(ほど)な
れば之(これ)より搾り取りし魚油|極(きはめ)て夥(おびたゞ)しかりしが此魚油は海嘯の為
め悉く持去(もちさ)られて海面に充満(じうまん)せしにぞ激浪の中(うち)に漂はされて辛
くも一生を得(え)たる負傷者は何れも魚油(ぎょゆ)を呑(のみ)しより医薬(いやく)も之に妨(さまた)
げられ頓(とみ)には其効を奏せず赤十字社其他より出張せし医師(いし)治療(ちれう)
上(じやう)に困難(こんなん)を極(きは)めたりと云ふ
【右頁下段】
○寧ろ明放を善とす 戸を閉(とづ)れば水の圧すること激(はげ)しきを以
て直(たゞ)ちに破壊せられ或(あるひ)は洗去らる戸(と)を明放(あけはなし)に為し居たる家屋は
却て流失(りうしつ)せざるもの多しと罹災者は語れり
○漫録
●つなみの意義 山下重民
一童子あり。問(と)ふて曰く。三陸地方(さんりくちはう)の沿岸に海水の暴溢せるは
先生の已に知り給(たま)ふ所なり。世人之を《ルビ:ツナミ|●●●》といふ。《ルビ:ツナミ|●●●》の
名義(めいぎ)如何(いかん)先生(せんせい)手(て)を拍ちて曰(いわ)く。善哉(よいかな)汝の問(と)へること。是(こ)れ文学
を修(をさむ)る者の知(し)らざるべからざる所なり。今(いま)汝の為(た)めに之を説
む。夫れ津(つ)をつといふは人のあつまるよりいへるにて。口津の
《ルビ:つ|●》は。唾(つば)のあつまるよりの称なり。此(こ)の義(ぎ)は集字を。《ルビ:ツ|●》とも《ルビ:ツ|●》
《ルビ:メ|●》とも訓むに照(てら)して明(あきら)かなれは。《ルビ:ツナミ|●●●》は集り来れる波浪にて。
即(すなは)ち暴溢の大濤といふ意義(ゐぎ)なりと知るべし。童子又問ふて曰く。
《ルビ:ツナミ|●●●》といふの外(ほか)別名(べつめう)なきか。先生曰くあり。《ルビ:タカシホ|●●●●》 (髙潮)
といふ。海潮の高く満(み)ち来りて。陸(りく)に上るの義(ぎ)なり。増鏡に「そ
のころ波風(なみかぜ)ふきて《ルビ:たかしほ|●●●●》といふものいりていとおそろしく屋
どもみな流(なが)れて」とあるを証(しょう)とすべし。童子|欣然(きんぜん)として曰く。
国語の意義幸に聞くことを得(え)たり。漢名(かんめい)之を《ルビ:海嘯|●●》といふ。其の
出処等(しゆつしょとう)如何と。先生曰く。《ルビ:海嘯|●●》の文字は名物六帖に拠(よ)れは。泊
宅編に見えたり。同書にいふ。《ルビ:海溢|●●》又謂_二之《ルビ:海嘯|●●》_一吏只云_二《ルビ:海毀|●●》_一
と。又品字編には海𣹝とありて。海水陡作謂_二之海𣹝_一と見ゆ。
字書に峻波本作_レ𣹝也とあり。前の《ルビ:海嘯|●●》の《ルビ:嘯|●》はウソブクと訓し。
説文に吹声也と解せり。もと海の鳴(な)るより称せるならむ。《ルビ:ツナ|●●》
《ルビ:ミ|●》はもと海面(かいめん)鳴動して襲(おそ)ひ来る者なれは。差支なきも適当の熟
字とはいひがたからむ。海𣹝はむづかしけれは用(もち)ふべからず。
【左頁上段】
実際(じつさい)は《ルビ:海溢|●●》の文字地震に対して適当(てきとう)なり。但(たゞし)少しく海嘯よりも
勢なきが如きの感(かん)あれば。《ルビ:海嘯|●●》の文字のみ。盛(さかん)に行(おこな)はるゝと知
らる。又《ルビ:海立|●●》ともいふ。《ルビ:海笑|●●》といふは稍異なり。草木子に。大
風海舟吹上_二平陸_一高波上_レ人謂_二之《ルビ:海笑|●●》_一とあり。博物類纂には。
《ルビ:海笑|●●》者海水忽然分_二開両辺_一是也とあり。とにかくツナミの一種
なるべし。吾は爾雅、釈名、佩文韻府、五車韻瑞、韻会等の諸
書を検(けん)せしも《ルビ:海嘯|●●》等の文字|見(み)えず。されば古(ふる)くは用(もち)ゐたる者な
きを知(し)るべし。六帖に引(ひ)ける泊宅編など。或(あるひ)は古き方か。以上
説(と)く所を以て漢字の意義を領すべし。童子大に喜び。得々とし
て去る。乃ち書して画報(ぐわほう)の漫録に充つ。
大田多稼|曰(いは)く余頃者|海嘯(つなみ)の字義に就(つ)き諸書を渉猟(せうれう)して考証す
る所(ところ)あらむと欲(ほつ)しゝに山下氏|余(よ)に先(さき)だちて鞭(むち)を着(つ)けられたり
今之(いまこれ)を閲(けみ)するに其(その)問答(もんどう)の義(ぎ)甚だ明瞭(めいれう)にして余蘊(ようん)なし所謂(いはゆる)鬱し
て開(ひら)かざるを開(ひら)き塞きて流(なが)れざるを流(なが)すといふに庶幾し然(しか)る
に頃者(このごろ)一二の新聞紙(しんぶんし)を閲(ゑつ)するに海嘯(つなみ)と称(しやう)する語(ことば)に就(つ)きて頗(すこぶ)る
異聞に渉(わた)れるものあり其説(そのせつ)の当不当(たうふたう)は姑(しばら)く置(お)き之(これ)抄出(しやうしゅつ)して
以(もつ)て氏(し)の遺(い)を補(をぎな)ふと云爾
海嘯(つなみ)といふ語は支那(しな)より伝来(でんらい)せしものにて支那(しな)に在(あ)りては別(べつ)
に此語(このご)を適用(てきよう)すべき事情(じゝやう)あり其(その)顕象の常(つね)に起(おこ)る所(ところ)は杭州(こうしう)の杭
州|湾(わん)にして同湾(どうわん)地形(ちけい)は鋭三角形を為(な)し其(その)二辺突頂の所(ところ)に杭(こう)
州|府(ふ)ありて銭塘江の河水|此(こゝ)に注(そゝ)ぐ湾形(わんけい)已(すで)に以上(いじやう)の如(ごと)くにして
且つ遠浅なるゆえ東海|面(めん)より寄来(よせく)る潮流(てうりう)は此(こゝ)に至(いた)りて銭塘江
河水を堰(せき)止め二|流(りう)相衝突(あひせうとつ)して其(その)堰|止(と)められし河水は余儀(よぎ)な
く付近(ふきん)の低地(ていち)を氾濫(はんらん)するに至(いた)る此(この)顕象(けんせう)は程度(ていど)に差(さ)こそあれ毎
年|普通(ふつう)の出来事(できごと)にして春秋二|期(き)特(とく)に劇(はげ)しく沿岸(えんがん)の地(ち)は一|面(めん)に
水浸(みづひた)しとなり災害(さいがい)を被(こうむ)ること少(すく)なからす其(その)河流潮流|共(とも)に相激(あひげき)
して咆哮泡沫を飛(と)ばすこと恰(あたか)も海(うみ)の嘯(うそぶ)くに似(に)たるを以(もつ)て支那(しな)
【左頁下段】
人は之を形容(けいよう)して海嘯(つなみ)とは云(い)へり即ち西洋(せいよう)にては eagre or
Wasserkrig と称するもの是れなりと
●大海嘯年代記 坪川辰雄
海底(かいてい)地震の結果(けつくわ)は常に恐るべき海嘯(つなみ)となりて陸地(りくち)に襲来(しふらい)し田園
家屋(かをく)を流亡し数多(あまた)の生霊(せいれい)をして沈溺せしむるに至(いた)る今此恐るべ
き海嘯(かいせう)被害(ひがい)の最大(さいだい)なるものを万国(ばんこく)に照(てら)して索(もと)むるに千八百六十
八年八月十三日ペリユ及びエクワードルの大地震(おほぢしん)には海浪(かいらう)天(てん)に
漲りてペリユ南部なるアリカ府を覆滅(ふくめつ)し港内(かうない)に碇泊(ていはく)せる船舶(せんぱく)は
簸弄翻揚|之(こ)れを破壊(はくわい)し或は覆没(ふくぼつ)して一隻の無難(ぶなん)なるはなかりき
就中|堅牢(けんろう)を以(もつ)て多少(たしょう)自負したる軍艦(ぐんかん)の如(ごと)きも一は陸上数町の地(ち)
にまで押揚(をしあ)げられ他の一隻は全(まつた)く覆没(ふくぼつ)して更(さら)に形跡を認(みと)めざり
しと云(い)ふ次(つい)で千八百八十三年八月クラタカツ裂震の際には高さ
百呎程なる大浪(おほなみ)サンダ海峡を横流(おうりう)して是(こ)れが為(た)めに溺死(できし)したる
もの無慮(むりょう)三四万人の多(おほ)きに達(たつ)したりしとぞ又(また)本邦(ほんぱう)に於ては寛永
四年の頃なりき層樓の如(ごと)く突起(とつき)せる海嘯(つなみ)は観(み)る々々東南部なる
沿海(えんかい)の地(ち)を一掃して数万(すうまん)の居民を引き去り船舶(せんぱく)の覆没するもの
算なく其(その)惨状(さんじやう)目(め)も当(あ)てられざりしとなむ之れに次で最強なるも
のは今回の海嘯(つなみ)とす
三陸大海嘯の原因(げんいん)に就ては未(いま)だ精細(せいさい)なるを知(し)るに由(よし)なしと雖(いへ)ど
も蓋(けだ)し海底(かいてい)の地盤は滑りて地層(ちそう)の墜落(ついらく)せしに依るならむと而(しか)し
て其(その)震源のタスカローラ深海(しんかい)に在りしは一|般(ぱん)学者(がくしゃ)間の確説なる
ものゝ如し此タスカローラ海(かい)とは先年|英(えい)船タスカローラ号の発
見(けん)測量(そくりょう)したる世界(せかい)第一とも云(い)ふべき深所にて東奥(とうおく)海岸を離(はな)るゝ
五十里|内外(ないぐわい)より始まり其(その)面積(めんせき)は幅凡百里長三百里|許(ばかり)にして北は
北海道千島樺捉沿岸より南(みなみ)は石巻付近に渉れり其(その)中尤とも深(ふか)き
凹所は四千六百五十五尋あり此地層は概ね堅牢(けんらう)なる岩石(いわいし)より成(せい)
立(りつ)したる石垣(いしがき)の如(ごと)きものなりと云ふ