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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十號 大海嘯被害録(下) - ページ 32

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【右頁上段】 今古来より本邦に於ける海嘯中顕著なるものを左に列記せむに 白鳳十三年十月十四日     (天武天皇)   土佐 蒼田変じて海となるもの凡五百万坪、其他諸国に海      嘯あり 天平十六年五月        (聖武天皇)   肥後 地震海嘯の為め民屋水に漂没す 天平神護二年六月五日     (孝謙天皇)   大隅 神造新島付近海水溢れ民皆流亡す 貞観六年七月十七日      (清和天皇)   駿河  此付近民家海に没す 貞観十一年五月廿六日     (仝  上)   陸奥 海上咆哮の声雷霆に似たり驚濤涌潮泝洄漲溢し忽ち      城下に迫り海を距る数百十里森々として際涯を知ら      ず溺死するもの数千人陸産土毛殆んど遺なし 仁和三年七月十日       (光孝天皇)   摂津 最とも甚しき損害あり其他七道諸国にては海潮陸に      漲り溺死するもの挙て算ふべからず 天慶元年六月廿日       (朱雀天皇)   摂津 海嘯あり 元弘元年七月三日       (後醍醐天皇)   紀州 千里浜に於て海嘯起り海中二十余町陸となる 正平六年六月十八日      (後村上天皇)   阿波 雪港海溢れ民家千七百戸流失す 仝年七月二十四日       (仝  上)   阿波 鳴戸潮洄き陸となり巨皷あり石上に見はる   摂津 難波浦海溢れ死する者数百人 弘和三年十一月五日      (後亀山天皇) 【右頁下段】   摂津 大物浦に海嘯来る 明応七年八月廿三日      (後土御門天皇)   伊勢 大ひに震ひ海水激し流死する者一万余人国崎島没す   相模 鎌倉地震一昼夜凡そ三十回江島地峡海となる   安房 海嘯あり内浦誕生寺為めに破損す   紀伊 海嘯あり 天正十三年十一月廿九日    (正親町天皇)   遠江 今切辺潮水溢れて死人夥し震動十日間程止まず 天正十八年二月十六日     (後陽成天皇)   安房 海嘯甚しく山崩れ埋る 慶長六年十二月十六日     (後陽成天皇)   上総 海嘯あり   安房 山崩れ埋り潮洄ること三十余町明旦海大ひに鳴り      海水溢れて人畜死するもの算なし 仝十九年十月廿五日      (後水尾天皇)   安房 海溢れ死するもの多し   上総 仝じ 寛文二年十月         (後西院天皇)   大隅 大震海嘯起る 元禄十六年十一月廿一日    (東山天皇)   武蔵 江戸城郭等壊れ茅屋一も全きものなし   上総 海嘯あり其他関東諸国に死人算ふ可からす   安房 海嘯尤とも甚し千余の家屋を一時に顛仆流亡せり   相模 箱根山崩れ海水暴溢し溺死者頗る多し 寛永四年十月四日       (東山天皇)   摂津 此日風少しも吹かず空晴れ一点の雲を見ず暑きこと      三伏の如し暫くありて東南より揺出し大地二三尺も 【左頁上段】      揺り裂け人家将棋倒しの如く潰れ次で海嘯襲来し民      家共に流没し大坂殊に甚し      大坂にて溺死せし者を諸書に就き調ぶれば左の如し       月堂見聞集には     一万二千人余       壚尻には        一万二千人       続談海には       三万六千人余       師英記には (圧死共)  一万人余       谷陵記には(仝)    一万五千二百六十人      兵庫鳴動劇しく船を覆し浜を破り溺死するもの算ふ      る能はず   和泉 堺の在家全きものなし夷島崩れ潮海となる   伊勢 桑名高波にて流され潰家多く行方知れさる死人多し   志摩 鳥羽松平和泉守の領分城共に津波の為めに流失し人      馬ともに行方知れさるもの算へ難し   尾張 知多郡の海辺海嘯起る大野辺の建屋多くは流失す   三河 二川汐来て湊を破る   遠江 荒井十二町水没し地形大ひに変ず      白須賀浜松共に高波の為め民家流さるゝもの数多し      荒井の関所は形跡だになし    駿河 津浪海岸に甚し   伊豆 下田津波起り民家多く流失し人畜死傷甚し   紀伊 和歌山の民家数千軒海嘯の為め流没し溺死するもの      幾千人と云ふを知らず      熊野高汐にて民家顛倒溺死者頗る多し今其大略を挙      ぐれは       長島村     民家残らず流失男女百余人没す       尾鷲村     民家千余戸  男女総て溺死       桂 村     五六十戸   人皆死す       白 村     三十戸    人皆死す       木本村     六百戸    人皆死す       大泊、小泊村  五十戸    人皆死す      右四日より六日まで汐満ち埜尻村より船にて通路 【左頁下段】   阿波 徳島潮入り溺死夥し浅川の在家概ね流失す   伊予 宇和島大潮打込み家財悉く流失吉田浦の民家五十戸      許流失此辺潮の高さ八九尺程なりしと   土佐 高潮にて溺死者男女千七百七十人負傷者七百人牛馬      の斃るゝもの四百頭   豊後 臼杵に津浪あり   日向 高鍋高汐       因に記す以上記する如く諸国に波及したるは此歳       寛永山噴火の結果ならむ 正徳二年三月       (中御門天皇)   越前 勝山に於て山岳崩れ海水溢れて人畜多く死す 仝 九年四月       (仝上)      得撫島海嘯あり露国船を飃蕩して山上に打上げ再び      海に下すこと能はず露国人船を捨てゝ去る 享保十一年二月廿九日   (中御門天皇)   越前 勝山領殊に甚しき津浪あり民家田畑を没し泥水湧出      て大河の如く人民牛馬無数溺死す 天保六年六月廿六日    (仁孝天皇)   陸前 仙台領大地震城壘大破す海辺大津浪にて民家流失す      るもの数百戸死人数知れず 弘化四年十一月四日    (孝明天皇)   伊豆 下田港溢れ十八ヶ村荒野となる    紀伊 湯浅の民家千余戸を破り大島を沈没し島民皆死す   伊勢 山田の町家数百を破り人多く溺死す   摂津 大坂の市民七百余人道頓堀に溺死す   和泉 播磨諸国の海岸洪波に洗はる 安政元年十一月四日   伊豆 下田港悉く破壊す当時露国の軍艦チャナ号該港に在